内定取り消しの話

手短に書く。採用内定が通知され応募者がそれを承諾することによって労働契約は成立するのだから、社会通念上相当と認められるような取り消し自由にあたらない場合の内定取り消しは、解約権の濫用であって無効である、というところまではウィキペディアなりJILPTなりの記事を読めば了解できるだろう。(参考:茨城労働局 採用内定は解約権留保付の労働契約が成立していると解される
もしも内定の取り消しが容易に行えるようになると、企業側は有望そうな学生にはとりあえず内定を出しておいて後から取り消して数を調整する、ということができるようになる。それを見越した学生側は内定を応諾してもそこで就職活動を辞めずに続行して複数の内定を確保しようとし、実際の勤務開始日の直前になって志望順位の低い内定を辞退するようになる。勤務開始の直前に内定を蹴られた企業は、人事計画の混乱を最小限に抑えるため新しい人材を採用するべく急いで募集をかけ、またそこで玉突き事故のごとく内定辞退が発生する可能性もあり、結果として労働市場の規律は大きく乱れてしまうだろう。
学生の側から見ても、内定に応諾した時点で就職活動を辞めて学業に復帰していたところに、いきなり内定が取り消されて「もう一度就職活動やり直してください」などと言われても、今さら新しい就職先を探すのは大変な負担である。そのように過酷な結果を強いるくらいなら、内定そのものの価値はきちんと維持した方が得策ではないかと思う。
とはいえ、実際に経営が危うい状態で若く未熟な人材を登用するのは企業にとって望ましいことでは無いことも確かだし、学生の側だって経営の危うい企業に行くのは嫌だろう。要は、採用内定から実際の勤務開始までにタイムラグがあって、その間に景気の変化などが起こった場合に妥当な落としどころはどこか、ということではないのかしら。
難しい問題に自分のような素人が妙案を思いつくはずもないが、就職協定を復活させて採用時期そのものを遅らせてしまう、というのは一つの方法だ。もともと長い就職活動によって学業に支障が出ていることは大学側から何度となくクレームが出ているところであるし。ただ、現在でも倫理憲章が形骸化していると言われている昨今、協定を復活させることに実際どれほど効力があるかは未知数なところもある。
あるいは、逸失利益の損害賠償請求で揉めるくらいなら一定の金銭支払いによって内定を解消できると事前に取り決めておくのは、マシな解決策かもしれない。半端な額ではなく、内定取り消しを躊躇わせるに足るだけの金銭でだ。もちろん内定取り消しを真剣に検討するような経営状況の企業は支払い能力に欠ける可能性もあるから、保険で賄うのも一考だろう。雇用保険から拠出したって構わない。本当に潰れそうな会社なら無理やり入ってもしょうがないわけで、現実問題としてカネで決着つけるのが妥当な気はする。
ついでに言っておくと、「潰れる会社に就職しようとした奴も問題なんじゃないか」という意見は愚論だと思う。企業内部の活動を読めるはずもない就職活動中の学生が経営の帰趨を判断できるくらいなら、経営危機に陥る前に経営者の方で危機を回避してしまうに決まってるわけで。そんなところまで自己責任を要求するべきではない。

図書の会計処理

なんだか問題点がこんがらがっているような気がするので、整理のために書いておく。

「図書館が管理する本を図書という」。これは「図書」という言葉を大学の会計で使うときの定義。
この定義にしたがうと、研究室で管理する本は大学では図書とは言わないことになる。したがって、実質的に研究室などで管理する本は大学の備品ではないはず。


でも、今は、なんでもかんでも、本を図書として扱っていて、自動的に本を備品としている。
本の備品管理に膨大な人手がかかっている。
なぜ、こうなったのだろう。 
何とかならないのかと事務方に検討をお願いしている。
きまぐれ雑記 : 本の備品管理

まず、大学の研究室にある本のすべてが「研究室で管理する本」ではないことには注意が必要だ。どういうことかというと、配架場所が研究室になってはいても、実際はその予算は図書館から出ていたりするものがあるからだ。図書館の予算で購入した資料は当然に図書館が管理することになるが、資料によっては、専門性が高いとか強いリクエストを受けて購入したものであるなどの理由で、図書館ではなく特定の研究室、ラボ、あるいは学科共同の書庫などに配架することがある。ちょうど、派遣社員が派遣会社に「雇用」されたうえで様々な派遣先企業に「派遣」されていくように、図書も図書館で購入しながら各研究室に配架される場合があるのである。実務的には、図書館スタッフが定期的に研究室配架資料の所蔵確認をすることで「この資料は図書館の管理下にある」とみなすといった、アクロバティックな回避策をとっているんじゃないかと思う。
図書館の図書購入予算で購入された資料は、当然ながら図書原簿に記載され備品として扱うことになるので、管理にいささか手間がかかるのは仕方がないことではある。さらに言えば、図書の場合は他の備品とちがって減価償却をしないので、永久に大学なり研究機関なりの資産として管理し続けなければならない。(参考:「図書の会計処理について(報告)」について(通知))ゆえに、この管理コストを回避したいのであれば、研究者自身のポケットマネーで購入するとか、各研究室などに配分された研究費で消耗品として購入するということになろう。ポケットマネーで購入した本は要するに私物なのであるから、大学や大学図書館が管理するものではないし、消耗品として本を購入したのであれば、備品じゃないのだから手間はかなり軽減される。
なお、図書館の予算ではなく各研究室等の予算で本を購入するのであっても、「○○万円以上の価格の本を購入する場合は原則として備品として処理する」というような内部規定があるんじゃないかと推測されるので、全部の本を消耗品として扱うことはできないだろう。さらに言えば、図書館の予算で購入していない本は図書館のデータベースに載らず、したがって知らないうちに複数の部局で同一の本を購入していたりするケースが発生しうるので、実際のところは重複を避けるために「本は原則として図書館を通して購入すること」というような実務上のルールがあったりするんじゃなかろか。なので、やっぱり手間はかかる。あ、問題が解決してないや(笑)。
最後に余計なことを言っておくと、そういう手間のかかることを研究者自身にさせないために事務方がバックヤードで働くことになっているのに、どうも研究者というのは華々しいサービスばかりに気を取られて管理部門を軽んずる傾向があるので、たまには裏方の働きにも目を配って欲しいものだと、これはリンク先とは関係なく愚痴っておく。数百万点に達する図書館資料の一つ一つを管理するロジスティクス機能と、それら資料を研究教育リソースとして提供するサービス機能を兼備し続けるというのは、それはそれで結構なエネルギーと専門性が必要なのですよ。

2008年J2第45節・アビスパ福岡−湘南ベルマーレ

シーズンの最後で、アビスパの良いところを出せました。映像はこちら。→http://4media.tv/soccer/club/avispa/

アビスパ福岡3−1湘南ベルマーレ
得点:ハーフナー(36分) 鈴木(48分) 大久保(60分) 坂本(66分)
蜂メンバー
GK22吉田宗弘
DF 3山形辰徳
DF 2宮本亨
DF27丹羽大輝
DF17中島崇典
MF18鈴木惇
MF10城後寿(→布部陽功68分)
MF14中村北斗
MF16久永辰徳(→久藤清一86分)
FW19大久保哲哉
FW20ハーフナー・マイク(→大山恭平89分)
http://www.jsgoal.jp/result/2008/1206/20080200030720081206_detail.html

湘南はよく整えられたいいチームでした。ジャーンは強いしアジエルは巧いし石原は怖いし。菊池も単なる若手という以上に戦力になっていた。それでも、さすがに昇格の可能性がかかった大一番なだけに、見えないプレッシャーや焦りがあったのでしょう。時間が経つごとにプレイに粗さや固さが目立ってきました。もしアビスパが先制してなかったら、これほど差のあるゲームになったかどうか。
先制点は36分。惇のセットプレーからジャンボが折り返してマイクが飛び込みました。マリノスへの返却が濃厚なマイクも、少しは福岡で思い出ができたかな。長身の割に足元を使いたがるマイクですが、このゲームではしっかりとボールを引き出していたほか、フォアチェックもこなしていました。あれでエアバトルが勝てるようになれば、J1でも働き場所があると思うのだけど。
2点目は後半早々、サイドに流れたジャンボからのパスを、惇がミドルレンジから鋭く突き刺して追加点。あのような美しい軌道のミドルシュートを放った惇は本当に素晴らしかったが、湘南としてはなぜあんなにフリーにしてしまったのかと嘆きたいところでしょう。試合全体として、福岡が湘南の守備を完全に崩していたわけではなかったし、局所的な攻撃で勝った場面でうまく点を取れたに過ぎませんからね。
3点目は、山形が右サイドから送ったクロスを、ファーサイドのジャンボがDFと競り合いながらゴール右に流し込んだ。何度もこの形で決めているので、得意な形になってきたのだろう。
攻撃陣もさることながら、この日は守備陣を褒めておきたい。丹羽はいつもどおり守備の要となっていたし、前半の決定機を防いだ吉田は見事だった。そして、90分間集中力を保って攻守に貢献した山形と北斗の2人。相手のサイドアタックを封じるとともに幾度もバイタルケアをこなした山形の守備は効果的だったし、豊富な運動量でボールを拾い、あるいは引き出し、ドリブルを仕掛けた北斗は、シーズン随一の出来でした。2年前の怪我以来ずっと不調だった北斗でしたが、最後の最後で「福岡の一番星」らしい輝きを放ってくれましたね。移籍の噂もあるけれど、ぜひ残って篠田アビスパでシーズンを全うして欲しいところです。
終盤では、退団が決まっているヌノさんと、ヌノさんのために膝の手術を延期した盟友の久藤さんも投入し、ホーム最終試合の締めくくり。ヌノさんは現役続行にこだわってアビスパからのスタッフ就任要請を断ったそうですが、納得いくまでやりきったら、いつかはアビスパに戻ってきて欲しいですね。
今シーズン全体を振り返れば、リティ体制を引きずったおかげでチームがボロボロになったところを、生え抜きの篠田監督が何とか繕った形でした。クラブ運営の癌である都筑社長は相変わらず居座っていますが、せめてサポーターだけは、篠田監督と選手たちを信じていきたいと思います。簡単ですが、これにて。

いつか敗北する日のために

図書館の主要な業務の一つに、レファレンスサービスというものがある。ものすごく簡単に言うと、ユーザーの疑問や質問に答えることだ。「○○について知りたい」「××について調べたい」というユーザーが来た時に、求めている情報や資料、あるいはその調べ方を提供する役割である。
ということを踏まえたうえで、以下に引用。

分からないものを検索する

技術力が全くない人間であっても、検索エンジンは、正しく問いさえすれば、あらゆる答えを教えてくれる。
問題になってくるのは「問いかた」で、自分が抱えている問題をどう言語化すればいいのか、 分からない人はたいていの場合これが分からないし、分からないものは、検索できない。
「問題」と「検索」との間に、誰か「人」に入ってもらうと、「何が問題なのか分からない」問題は、 しばしば検索可能な、解答可能な問題に置き換わる。
次世代の検索エンジンは、たぶん「ここではないどこか」みたいな言葉を検索して、 満足のいく解答を返してくれるようになる。
「ちょうどいい暇つぶし」だとか「面白そうな本」みたいな、検索不可能ワードの検索需要は必ずあって、 そんな「次世代」は、たぶん人がたくさん集まる場所から発生する。
疑問を持って、SNS でヒントをいただいて、検索して、Twitter に疑問を投げて、 blog のコメント欄でヒントをいただいて、さらに検索して、解答にたどり着いた。
Twitter クライアントをホットキーで瞬間起動する - レジデント初期研修用資料

長いので省略したが、このエントリに記された一連の流れは、図書館に持ってくればそのままレファレンスと呼んでも差し支えないだろう。
ユーザーが図書館を訪れるとき、「わからないこと」の中身が常にきちんと整理されているとは限らない。わからないという思いだけをハッキリと抱え、しかし「何がわからないのか」については曖昧なままで、ユーザーから質問をぶつけられることは珍しくない。そういう時に我々は、ほんの少しだけ検索し、得られた情報をユーザーに示し、知りたいことは何なのかを逆質問によって引き出し、対話を重ねていく。ユーザーが投げかけた言葉、こちらの逆質問に対する応答、解となる情報を求めるに至った事情や動機、ユーザーの身振りや表情に至るまで注意深く観察し、相手の意図を把握するとともに、質問の主題を明確にしていく。「レファレンスインタビュー」とは、そのようにしてユーザーの抱いた疑問を研ぎ澄ましていく対話技術だ。リンク先のエントリは、図書館の代わりに検索エンジンとblogとtwitterが、ユーザーの疑問をうまく編み直して解決に至った一例とも言える。
そのうえで、上記引用部分はライブラリアンとして非常に示唆的だと思う。自分はこのダイアリでたびたび、「ライブラリアンは情報ナビゲータだ」ということを言っているが、人間の頭脳にはもともとナビ機能が備わっているんだから、多少なりとも知的トレーニングを積んでいれば、図書館に頼ることなく検索エンジンソーシャルメディアを駆使して目的の情報に辿り着くことができたりする。これまで人間が担ってきたレファレンスの全てではないにせよ、結構な部分を代替することが出来るだろう。あるいは、こうして blogなどに疑問と解答と問題意識をセットで書き残しておけば、それは一つのレファレンス事例であり、後で誰かが検索して参考にすることもあるかもしれない。
技術の発展というのは、それまで人間が担ってきたことを人間がやらずに済むようになるということでもあるから、セマンティック技術とやらが従来のレファレンスを代替するようになるのなら、人間はさらに高度な、あるいは広範なレファレンスを心がけるしかないだろう。今どきラッダイト運動でもあるまいし、「テクノロジーによる人間の代替」にビビってもしょうがない。
そもそも専門職というのは、自分の持つスペシャルな技能がコモディティ化すること、単純化すること、あるいは陳腐になることを歓迎するのが当然であって、いつまでもスキルが腐らなかったら、スキルアップに励む必要が無いわけだから、その専門職そのものが沈滞してしまうだろう。専門家の働きによって価値を認められた技能・技術は、それだけ速く世の中に広まっていくはずだから、言い換えれば、専門職とは自分のスキルが不必要になるような世の中を待望している人間ということになる。
自分がスキルを向上させていくスピードが、従来のスキルが陳腐化するスピードに敗れ去るとき、その専門家はキャリアプランの修正を強いられる。それは「引退」かもしれないし、他業種・他職種への「転身」かもしれないが、いずれにせよ、その敗北の瞬間は必ずやってくる。かつて『沈黙の艦隊』という漫画の中で、ジャーナリストのボブ・マッケイが海江田艦長に対し「あなたは自らが敗北する瞬間のために深海にあり続けようというのか!」みたいなセリフを言っていたと記憶しているが、自分が敗北する瞬間に向かって全力疾走するのは、すべてのプロフェッショナルが背負った業のようなものかなと今は考えている。もちろん「やまと」と違って、人間は敗北しても知恵と勇気によって再起を図ることができるのだけれども。

福岡第一バスケ部・セネガル人留学生の件

軽くメモ程度に。

19日の衆議院文部科学委員会市村浩一郎議員(民主)が問題を取り上げた。セネガル当局が日本の外務省の問い合わせに答えた資料によると、03年から福岡第一高校に留学したティエルノ・セイドゥ・ヌロ・ディアン選手は、82年1月4日生まれで当時21歳だったのに、86年10月4日生まれの16歳とするうその身分証を取得、これをもとに発行されたパスポートを手にしていた。
(中略)
疑惑は当時も指摘されていたが、福岡第一高校や全国高体連バスケットボール専門部は、年齢確認はパスポートで行ったなどとして出場可能としていた。福岡第一高校ではもう1人、05年の全国高校選抜に出場した九州のほかの高校でも1人セネガル人留学生が出場しており、「セネガル旋風」と話題になっていた。
asahi.com(朝日新聞社):高校バスケ全国制覇…セネガル人留学生は年齢詐称 福岡 - スポーツ

1983年 3月 福岡大学付属 大濠高等学校 卒業
Yahoo!みんなの政治 - 市村 浩一郎 - 基本情報

ここで問題が生じた。福岡第一高校総体で優勝した後、写真週刊誌が留学生の「年齢詐称疑惑」を報じた。訴えの主はライバル校、福岡大大濠の田中国明監督。全国高校体育連盟に質問状も出した。これに対し、福岡第一側が名誉棄損で訴訟を起こす騒ぎにもなった。
田中監督は「外国人を排除しようということではない。ただ、公平であってほしいという思いだった」と説明する。
週間朝日2006.3.17号

セネガル旋風って当時も話題になっていたな。福岡第一以外にも、延岡や八王子が上位進出していたと記憶している。確か、福大大濠は留学生を入れずに純日本人チームでやっていたんだっけ?
若年層のスポーツは育成も兼ねているから、例え同じ高校に所属していても年長の選手はまずかろう。たかはし智秋23歳や井上喜久子17歳のようなシャレでは済ませられない。ただし、パスポート詐称は母国でどう発行されたかの問題であるので、受け入れた学校側の責任だけを問うことはできまい。
さて、第一は2004インターハイや2005ウィンターカップを獲っているが、今さら剥奪というわけにもいかないだろうし、どう収拾するのやら。

もちろんブログは図書館ではない

なぜいちいち図書館を引き合いに出すのだろう?

次に、コメントに関してです。
ブログ内での相互交流を図るためにYahoo!ブログにもコメント機能があります。その記事に書かれている話題に関して読者意見を書くことができますが、内容とは無関係な話を書くことは避けるべきものと思います。
Yahoo!ブログにはゲストブック機能がありますし、ブログによってはわたしのブログのようにブレテンボードシステムを用意している場合もありますから、そこに書くのが普通でしょう。
図書館で、本に書くスペースがあるからと言って書き込むことはあきらかにマナー違反ですし、場合によっては器物損壊罪に問われることもあります。
また、その場においてふさわしくないコメントも避けるべきでしょう。
たとえば、なぞかけなどの形で暗黙の了解とした記事に対して正解をすべて書きこむような行為です。
図書館においてある推理小説の冒頭に犯人の名前を書いてしまうような行為はあきらかに嫌がらせ以外の何ものでもありません。

一般常識・礼儀とブログマナー - ☆女の徒然草☆ - Yahoo!ブログ

図書館の資料に書き込みをするのは、マナー違反じゃなくてルール違反ですよ。共有財産なんですから。でもあなたのブログは共有財産ではないでしょう?あなたのブログは誰でもエントリを執筆できるんですか?

また、ブックマークに関してですが、本来のブックマークとは本にはさむ、しおりのことを言います。ここで本来のと書いたのは、Wikiなどの内容から引用して反論する方が居られることを想像してそのように書いているのです。
しおりである以上、その機能は個人の趣味嗜好によってなされるものとなります。そして、ブックマーク禁止を表示しているサイトやウェブページ、ブログについては公開ブックマークを行うべきではないと考えております。
図書館で利用者が勝手にしおりを挟んでいるようすを想像してください。施設によっては利用者が数万人、あるいは数十万、数百万人もの人が利用して、それぞれの利用者が勝手にしおり(ブックマーク)をすると、どのようなことになるでしょうか。
きっと図書館はしおり(ブックマーク)であふれかえり、しおり(ブックマーク)に書かれた内容がその図書館においてある利用物となってしまいます。
これでは本来の図書館としての役割を果たすことは困難でしょう。
一般常識・礼儀とブログマナー - ☆女の徒然草☆ - Yahoo!ブログ

図書館の資料に利用者がこぞって栞を挟んだら、そりゃ邪魔でしょうね。他人の快適な利用を妨げています。でも、あなたのブログに誰かがブックマークしたとして、それは他の誰かがあなたのブログを閲覧することを妨げてはいませんよ。リアル図書館と違い、オンラインの栞は見たくなければ見なくてよいのですから。
個人の偏狭なブログに比べれば、図書館の方がまだしも寛容です。俺様ルールによって他人の利用を侵害しない限りは。ぜひ一度、お近くの図書館を利用なさってください。

持ちネタ?

すっかり釣られてしまったようで、汗顔の至り。恥ずかしくてもコメントは消さない方向で。

講演で陰山氏は、中学校の地理で教えているヨーロッパの国の数を質問。大半の参加者が間違えると、「だからダメなんです。プロたる教師がそんなことを知らずして世の中がまともに動くはずがない」と語気を強めた。
「それでもプロか」と校長研修会で“喝” 大阪府教委 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

私たちはさまざまな機会に教育問題を議論する。しかし、その割には子供たちが置かれている教育内容の現状を案外知らない人が多いのではないでしょうか。
私には中学2年の子どもがいます。あるとき、子供に勉強を教えようと教科書を開いてみてがく然としました。ヨーロッパ諸国の中で世界地理として習う国の数は何カ国だと思いますか。
正解はフランスの1カ国のみ。ヨーロッパが1カ国ならアジアも1カ国。では、どこの国だと思いますか。大半の人は中国だと思っているかもしれませんが、答えはマレーシア。これにアメリカを加えた3カ国で、義務教育で習う世界地理は終わりです。
教育を考える 「百ます計算」で有名な陰山氏が講演
※2008年9月14日、東広島市での講演。

みなさんにも考えてもらいましょう。教科書の中で何カ国を教えているか。ヨーロッパに絞りたいと思います。イギリス,フランス,ドイツ,イタリア,スペイン,ポルトガルといろいろあると思いますが,ヨーロッパの国々の何カ国を学習しているか。1カ国,3カ国,5カ国,7カ国。1カ国だと思われる方,3カ国だと思われる方,5カ国だと思われる方,7カ国だと思われる方。正解は1カ国であります。現在の中学校の地理にはヨーロッパ1カ国,アジア1カ国,そしてアメリカ,この3カ国を学習して中学校の世界地理は終わりであります。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/424pdf/05-02.pdf
立命館産業社会論集42巻4号(2006年度)より抜粋。

実は私は今日、日本の学力問題を象徴する一冊の本を持ってまいりました。これを是非とも総理始め皆さんに見ていただきたいと思って持ってまいりました。これは、この春まで私の息子が行っておりました中学校の地理の教科書でございます。その地理の教科書の中で、世界の国々が何か国記述されているか皆さん御存じでしょうか。3か国です。そして、書かれている国は、アメリカ、フランス、マレーシアです。中国も韓国も、勿論北朝鮮もありません。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/dai1/1gijiroku.pdf
2006年10月18日、第一回教育再生会議議事録より抜粋。

国際化の時代…中学校の地理で何カ国を教えているのか?

ヨーロッパ・アジア・北米各1カ国のみ
http://www.ijstr.com/tayo/070504.pdf
※Bosphrusイスタンブル日本人学校学校便り第2号(2007年5月4日)より抜粋。2007年4月26日に和歌山県で開かれた研修会での講演の一部。

子どもの教育の会報誌に陰山英男氏の講演内容が載っていたのだが、その中に”現在中学の世界地理の学習では、ヨーロッパの国について何カ国教えてるかご存知ですか。正解は、1カ国です。他にアジア1カ国とアメリカを学習して中学の世界の地理の学習は終わるのです。(以下略)”とありました。
EIGOmate- 地理ってトリビアに変化してきているのだろうか?
※2005年以前と思われる。

8月2日の東京新聞夕刊「放射線」に尾道の小学校校長・陰山英男氏が現場を忘れた教育論議というテーマでコラムを書いていた。それによれば中学の世界地理で習う国の数はたったの三カ国だけだと云う。ヨーロッパから一カ国、アジアから一カ国、そしてアメリカ、これだけで国際理解もへったくれもない。
MADCONNECTION: だってぇ、教わってないも〜ん。
※2005年8月2日東京新聞が元ネタ。

うん、まあ、おいしいネタは何度でもおいしいよね。続けざまだと食傷するけど。