「地方って、もう終わっちゃったのかな」

2ヶ月ほど前、親戚への年始の挨拶を兼ねて某地方都市に小旅行に行った。新幹線停車駅から車で1時間ほど掛かるその街は、典型的な車社会という感じで、多くの家庭は自家用車で交通の用を足す。私鉄は無く、JRの在来線は1時間に2本。朝と夕方だけ3本になる。高校生が通学に使うほかは、わずかな通勤客と観光者がいるばかりで、バスはあるにはあるが使われてはいないそうだ。
訪ねた親戚は5人家族で、主人と子供2人が勤め人だが、3人とも別々の車で通勤している。他にも主婦の買い物のために車が1台あるから、5人で4台の車を使っている。都市部なら駐車場費用で10万は飛んで行くだろうが、コンビニですら20台ほどの駐車場を抱える土地柄だから、そんなことは意識の端にも上らない。自分が訪ねたときはローカル線を使ったが、駅前にはスーパーも商店街も無かった。日常の買い物はショッピングセンターで賄われる。
成人式の前に自分の車を買うようなところだから、車は各家庭の物というより個人の物というイメージが強い。学生の多くは大学のある街に出て住むので、車で大学に通学する若者はそこまで多くない。その街で車に乗る若者は大学に行かない人間の方が多い。働いている者も働かない者も車を持つ。都市部に住んでいるとイメージしづらいが、大学のある街と無い街とでは、空気が違って感じられる。
駅前に商業地区が無く、駅近辺は一戸建てで占められている。駅前再開発という言葉とは無縁だ。もともと開発されたものが無いから、「再」にならない。駅を使って移動する習慣や駅周辺で消費する文化が乏しいから、開発計画も持ち上がらない。飲んで帰るサラリーマンはどうするんだ?という疑問を覚えたが、家族に迎えに来てもらうのだろう。

どちらかと言うとanhedoniaさんの記述にシンパシーを持つ。人口の多い都市部では、日常の通勤・通学客の需要が十分にあるから、個人が車を持っても鉄道・バス会社がペイする。しかし人口の少ない地方部にあっては、日常の用まで自家用車で済ませてしまうし、駅ビル等の駅周辺事業が貧弱だから採算が取りづらくなる。まして人口寡少地域では、公共交通のために行政府が財源を負担しようとしても世間の合意が取れまい。個人が保有する車の台数は都市部の方が多いが、交通の重心が個人の車にあるという点では地方部の方が上だろう。公共交通が不便だからといってマイカーにシフトしてしまうと、その公共交通機関はますますコストのために利便性を下げ、要するに見捨てざるを得なくなる。人口がさほど無いのに交通を自家用車に移しすぎたのが、地方の敗着といえるんじゃなかろうか。要するに合成の誤謬ということになるんだけど。「バカ野郎、まだ・・・」と返せるかどうか、僕にはわからない。


エターナルフォースモータリゼーション
一瞬で駅前の周囲の商圏ごと沈滞させる。
地方は死ぬ。