続・コムスン雑感

週末から今朝にかけて、グッドウィル・グループの折口会長がいくつかのテレビ番組に出演していたようだ。自分も少し見たが、案の定コメンテーターは折口会長の経営者としての責任を問い詰めるばかりで、現在の介護市場がどのようになっているかなど構造的な視点から論評する向きが見られなかったのは不満だった。
コムスンにせよグッドウィル・グループにせよ悪評もちらほら聞くのでかばいだてする気はないのだが、グッドウィル営利企業であるのだからどのようなサービスであってもできる限り利益を追求しようとするのは当然のこと。これで「介護サービスは儲からない事業分野」という認識が企業家の間に広まってしまえば、介護は行政が福祉の一分野として行う事業に逆戻りしてしまうだろう。前回も書いたが、自分はそのことを危惧している。
教育にしても医療にしてもそうだが、社会保障とか社会資本とかいうものは、行政によって行われるものと民間企業によって行われるものが車の両輪をなすのが望ましく、行政だけがその事業を行うとしたらサービスの水準は向上しにくいだろう。複数の事業者が切磋琢磨してサービス向上に努めるからこそ、公共機関によるサービスに対しても質の向上を求める声が説得力を持つ。介護サービス市場が健全な市場であれば、金融機関や行政の斡旋を待つまでもなく他の企業がグッドウィルの後釜に収まるべく動くだろうに、そういった積極的な動きがとんと見られないところに、介護事業という分野に対する企業家の見方が表れていると思う。
「福祉は儲からないのが当然」と切って捨てるのは簡単だが、核家族化と女性の社会進出が普通になった昨今、介護労働力を家庭内に求めることは今後は困難だろう。そうであれば民間サービスに介護労働力を求めるのは自然な流れであって、いまだヨチヨチ歩きの介護ビジネスを今回の騒動でもって芽をつぶすべきではない。介護士やケアマネージャーはどのように労働をしているのか?その労働にふさわしい待遇はどれほどのものか?介護サービスを継続的に行うにはどれほどのコストがかかるのか?事業として健全に成り立つには市場規模がいかほどであればよいのか?事業者の不正を防ぐためにはどのような監査の仕組みが求められるのか?そしてそれら介護事業を支えるには介護保険制度をどう設計すればよいのか?その他諸々、必要なのはこれからの介護をどうするかというグランドデザインの議論であって、不正を行った企業を吊るし上げて溜飲を下げても我々は幸せにならないはず。ちょうど今日、介護疲れによる殺人のニュースが流れたが、介護を「日蔭者」のごとく扱っていては、こういった悲劇は解消されないのではないだろうか。
(追記)
コムスン不正問題メモ: 極東ブログのコメント欄に以下の記述あり。

コムスン社員です。福祉を食い物云々というのは現場からするとあんまり実感わきません。というのは保険利用の福祉のビジネス(特に訪問介護)は全然儲からないからです。介護保険制度の改正や障害者自立支援法の施行で介護報酬が大幅に下がりました。そして世の中は景気がよくなり、従って雇用条件も上昇しているので、介護業界に人がますます集まらなくなりました。僕が働いているのは都市部なので需要はものすごくあるのですが、人手が足らないのでなかなか依頼を受けられません。報酬が低く、仕事も増やせないので、当然売り上げも下がる一方。ジリ貧状態でした。今回の事がなくても破綻していたと思います。

投稿 beetle | 2007.06.12 07:01

まあそうだろうな、という印象。