まず自分ありきと思っていた

4月の下旬だったか、教育再生会議による「親学」についての提言が毎日の紙面でリークされた。報道を見ての僕の最初の印象は「つまんないことを言うなあ」というものだったけれど、一方で、いくつかのブログや掲示板での激しく反発する様子にもやはり面食らった。そんなにヒステリックに反応することかなあ、と。
それらネガティブな反応を僕は消化しきれず、しばらく当惑したままだったのだが、azumyさんの以下の文章で理解する取っ掛かりを貰ったような気がした。

「親学」というのは結局マクロなんだな。最初からミクロ、つまり自分自身の子育てについて自分で考えられる人にとっては、あまり有用でない。しかし、自分からミクロで考えられない人にとっては、相応に有用性がある。たぶん。
マクロとミクロと「親学」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

「自分からミクロで考えられない人」。なるほど、もしかしたらそういう人は、あの提言がダイレクトにその人の生活を縛り付けるようなものと受け取ってしまい、重荷を感じるものかもしれない。けれど、そういう人ってどれくらいいるんだろう?子育てっていうのは生活時間の一部を割いて行うイベントじゃなくて、むしろ時間を共有するような営みだと思うから、個々の局面ではあんな提言よりも親自身の人生観が自然と優先されるんじゃないのかな?
そんなふうに考えながら調べものをしていたら、以下のような記事を見つけた。

まず、「親学」については、どの年代のお母さんも知っていた。あれだけ報道されたのだから当然といえなくもないが、ほとんどのお母さんは「テレビのニュースで見て」知ったとのことで、「新聞で読んで」という40代のお母さんと、「インターネットで」という30代のお母さんがいただけである。予想はしていたものの、まさにテレビの影響オソルベシといったところだろう。
そこで「どう思いましたか?」と、実に曖昧で答えにくい質問をしてみた。「なんで、そこまで決めつけられるのよってイヤな気分(40代 Gさん)」「なんか『子育て』まで規制されるみたいで、とんでもない時代になりそう(30代 Eさん)」「ちょっと信じられない気がして、それから腹がたって(20 代 Bさん)」「プライバシーに土足で踏みこまれたような不愉快さだけ(50代 Lさん)」というように、15人のうち14人までが、なんらかの不快感を抱いているようである。
ところが、「別にキューミがなかったから、どうでもいいって感じ(20代 Cさん)」という意見もあるのだ。たしかに、考えてみれば不思議ではない。Cさんがそうだというわけでなく一般論だが、小さい子どもに手がかかるうえに共稼ぎという条件にあれば、教育再生会議がなにを打ちだそうと、日々の仕事や雑事に追われ、「どうでもいい」と思うのも無理はないのかもしれない。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/imadoki/070530_19th/

そこで、実際に「親学」が奨励されたらどうしますか?──と問いかけてみると、Cさんはキッパリと「従うわけないじゃない。自分の子どもの育て方は、自分で決めるものでしょ。指図されるなんてゴメンだわ」といい切る。「いいところがあったら、すこしは参考にはするけど(20代 Bさん)」「勉強はしてみるけど、どうするかは、そのときになってみないと(20代 Aさん)」と20代の方と比べても対照的である。
30代・40代の方でも「強制されるのはイヤだけど(30代 Dさん)」「奨励されなくても、ちゃんと子育てしている方は多いのよ(40代 Iさん)」のような意見が多く、70代のPさんが「冗談じゃありませんよ。孫がそんな『親学』みたいなもので育てられたらって、想像するだけで寒気がするわ。ぜったいにイヤですからね」というのに比べるても、違いが明らかである。
考えてみれば、いきなり「親学」なるものを持ちだされたら、「参考にする」というのも当然かもしれない。とりわけ子育て真最中の世代では、子育てに不安を覚えることも少なくないので、「こうしろ」と奨励されれば、「いいところは参考に」と思うのが、ごく自然だろう。もちろん、「従わない」「イヤ」というのも、「参考に」も、それぞれの受けとめなのである。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/imadoki/070530_19th/

なるほどなあ。僕の感覚は記事中のAさんBさんCさんに近い。あの提言は立法化されたわけではないし、文科省の告示でもない。諮問機関の提言と言っても、報道から漏れ聞こえるのは与太話というか雑談めいた議論ばかり。そんなメッセージが、自分の価値観を侵犯するような「介入」として受け取れるなんて、考えてもみなかった。せいぜい一部をつまみ食いとか、参考程度に活用するくらいのものだろうと。
だけども、そんなふうに深刻に受け止める人、あの提言を実践しないといけませんよと解釈しちゃう人だったら、それは圧迫感を感じるかもしれませんね。他人の意見に左右されることの少ない両親のもとで育ったせいか、僕はあの提言を真面目に受け止める人のことに想像が及びませんでした。最初からマクロな話と思い込んでいたし。
そんなわけで、激しく反発する心理は多少想像することができた。だけどもやはり違和感は残る。どうしてそんなに深刻に受け止めるんだろう?子供としては、これこれこういうマニュアルにしたがって育てたなんて言ってほしくない。これこれこのような考え方にしたがったのだ、と言ってほしい。それはとりもなおさず、親と子のものの考え方に共通の基盤があるということを意味する。多少の差異はあるにしても、共通の価値観に乗っているという事実は、親子関係における紐帯を強くするだろう。家族の安定ってのはそういうことなんじゃないのと思う。
僕が親になったらきちんとわかるんだろうか。今のところ予定はないけど。