文化は余技なればこそ

この辺りの彼我の違いって、結局バブルとともに「メセナ」という言葉が死語になったのだけれど、要するに日本の企業がある程度文化投資を当然のものとするようにモデルチェンジする前にバブルが潰れて時代が変わっちゃったのかなと感じなくはない。ところで、よく「品格」とかを語る本が昨今売れたりするけれども、実は「品格」って、格差の上位にいる人の鏡なんだよな、ってことは思う。で、そういう「品格」を語る中で、文化とか趣味とかって結構大事。例えば金持ちがある程度「趣味が金儲け」みたいな状況では、社会全体の「品格」も生まれてこないのではないかと。その意味で、今の世間的に有名な経営者なり政治家なりで「大旦那的」な趣味人という風体を漂わせる人がもうちょっといれば、世の中の空気全体が良くなるのかな、みたいな思いはあるんだけれどもね。
コンテンツのフリーライドに関する雑駁な放言。 - 殿下執務室2.0 β1

個人的には、UGCやらCGMやらで「ヒット作品は個人の才覚ではなく確率論的なもの」という流れが主流を貫くなら、利益出てるところが半分社会主義的に製作者全体に薄く広く利益分配とかして層そのものを支えていかないと、いつか畑が枯れる気がしてならない。
「コンテンツが糞だから金払わない」じゃなくて、そういう糞コンンテンツもまるごとヒット商品の為の必用コストとして、飲み込む気風が全体に必要なんだと思うんだけどなぁ。多様性とか突然変異ってのの為にはまず母数が必用だし、糞なコンテンツや素人作品ってのは安定した母数維持の為の必要コストだと思う。
TVメディア崩壊のフラグ | fladdict

思うに、文化振興つーかコンテンツを製作して発信して消費するという流れは、我々にとって結局は余技でしかなかった、ということなのかなと。文化と言えば聞こえは良いけれど、本当の意味で生活に根付いた存在にはなりきれなかったからこそ、これほど興味関心を集める割には市場規模は大したことないし、各業界の労働者もウハウハする話にありつけないわけで。自分は「心の栄養」も生活必需品のうちだと思っているけれど、そういう考え方をする人間ってどうやら世間じゃマジョリティじゃないみたいだし。
働き出す少し前にアパートを探していたころ、「月々の給料のX%くらいが適正な家賃の相場」みたいなことをよく耳にしたのだけれど、日々の生活拠点の取得についてはそういう「常識」が曲がりなりにも存在するのに対して、創作物の享受についてはどうもそういう「常識」というか世間相場みたいなものはないらしい。新聞を購読してる人もしてない人もいて、スカパーと契約してる人もしてない人もいて、iTunesやMoraでガンガン楽曲を購入してる人もいれば、めったにCDすら買わない人もいて。そういえば自分はここ数年、本やゲームの購入ペースがガクンと落ちている気がする。可処分時間がWebに費やされているからだろうな。
もちろん各人が時間とカネをどのように消費しようがその人の自由なのだけれど、いわゆる世間相場みたいなものさえ定まっていないという事実が、そのまま消費行動における順位づけの劣位につながっているんじゃないのという印象を僕は持っていて。そのうえでコンテンツ分野を振興させていこうとするのなら、自由な市場取引に任せるばかりじゃなく、カネのあるところからないところに意図的に廻していくような、ある種のパターナリズム的発想を持ち込まざるを得ないんじゃないか、とそんなことを考えている。