労働政策と社会保障政策を接続する3つのキーワード

はてブで何度も「雇用こそ社会の安定」と叫んでいるんだけど、新年一発目にちょっとキーワード解説的なエントリを書いてみます。素人学問なので全部信じちゃダメだよ。

  • フレクシキュリティ

Flexibility(柔軟性)とSecurity(社会保障)を合わせた造語。1990年代から、オランダやデンマークを中心としてヨーロッパで提唱・実施されてきた政策概念。企業にとっては労働市場がフレキシブルであることが望ましいが、ただ単にフレキシブルであるだけでは個々の労働者に不安定さのリスクを押し付けているだけであり、社会の安定は損なわれる。したがって、きちんと労働者を保護する仕組みを合わせて整備しましょうということ。簡単に言うと、「解雇されないから大丈夫」ではなく、「解雇されても大丈夫」という方向で制度設計を行う。デンマークを例に取ると、緩やかな解雇規制・手厚い失業保険・充実した職業訓練の3つを大きな柱としていて、この3つが相互に深く連携しているので「ゴールデン・トライアングル」という別名がついた。これにより、労働者はある企業から解雇されても、失業保険を受けつつ職業訓練に参加することで、生活水準を落とすことなく再就職が可能となる。もちろん、これを実践するのは容易いことではなく、デンマークにおける労働市場プログラムのコストはGDP比で約5%だそうで、国民がこれだけの負担を合意できなければ成り立たないだろう。そういえば3年ほど前に、フランスのドビルパン首相がCPEなんてものを提唱してましたっけ。労働組合の組織率ひとつ取っても、デンマークは90%近くあるはずですが、フランスは確か10%いくかどうかの低水準。CPEはフランス若年層の大反発を喰らって潰れてしまいましたが、ただの規制緩和ではデンマークモデルをなぞることはできないという証左です。(ついでに言うと、デンマークの元首相であるラスムッセンは、CPEはデンマークモデルとは関係ないと言っている。)

  • トランポリン型福祉

簡単に言うと、社会から落ちこぼれてきた人を受け止める「セーフティネット」に対して、貧困から脱出させ生活水準を高めるところまで福祉政策のスキームを広げることを、下に落ちてきた人を上に跳ね返す様子を形容して、そう呼ぶ。具体的には、イギリスのブレア政権下で就職支援と職業訓練をセットにして注力した一連の政策が代表例。落伍者を受け止めるばかりでは福祉給付の受給者が増えるばかりで、いずれ負担が重くなりすぎて支え切れなくなる。したがってセーフティネットにかかる負担を減らすには、落ちてきた労働者を再び支える側に戻してやるのが良い、ということも政策趣旨に含まれている。余談だが、安倍晋三政権の「再チャレンジ」政策の中で「正社員と非正規社員の均衡処遇」や「新卒一括採用を見直して複線型の採用」が提唱されたということを聞いて、「惜しい!もうちょっと踏み込んでくれ。」という感想を抱いたことを思い出した。もはや覚えている人もあまりいないと思うが、具体的な制度に落とし込むことができていれば、評価する向きは増えていただろう。話を戻すと、単純労働は人件費の面からどうしても後進国に奪われやすいので、先進国では単に失業給付を手厚くするよりも、しっかりとトレーニングを施したうえで労働市場に戻してやるのが、いたずらに国民負担を増やさないという観点からも妥当だろう。
参考:低所得者の賃金を改善させた英国式「トランポリン型福祉」(1) | 国際 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

welfare(福祉)とwork(労働)を合わせた言葉で、「勤労福祉」などと訳される。もともとは、アメリカで失業保険などの社会保障給付を受ける際に、一定の労働に就くことを義務とした政策が源流で、1994年にニューヨークでジュリアーニ市長が導入した例が知られている。アメリカにおけるワークフェアは、福祉受給者を就労に追い立てるものという批判があるが、ワークフェアという言葉そのものが現在では多義的に使われるものになってしまっていて、例えばスウェーデンデンマークのように福祉受給者を積極的に労働市場に参加させるような社会政策を大まかにワークフェアと呼ぶことも多い。というか、社会政策を論じる際にはヨーロッパの動向を参照することが多いので、特に「アメリカ型ワークフェア」と前置きするのでなければ、懲罰・制裁的な意味合いを排して理解してしまってもよいかもしれない。とりあえず、ヨーロッパ型のワークフェアはトランポリン型福祉と重なる部分も多いので、初学者はそれで割り切っていいんじゃなかろうか。
福祉受給者を労働市場に参加させるといっても、給付を切り下げて無理やり労働させるというようなハードな政策ではなく、働かずに福祉に頼るよりは働いた方が得になるように制度設計をしようと言うのがヨーロッパ型ワークフェアの趣旨で、ここでも充実した職業訓練がカギになっている。また、単に就労すればいいというものではなく仕事の品質を問いましょうという観点もワークフェアには盛り込まれている。どういうことかと言うと、仕事を得てもワーキングプアのような質の悪い仕事では生活水準は向上しないし、生活保護を受給していたほうが所得は上になるという「福祉の罠」も生じるので、就職しても給付をすぐに止めるのではなく段階的に縮小しましょうとか、母子家庭には潤沢な児童手当を給付しましょう、というような議論がなされている。深く踏み込んで紹介することはしないが、要は、福祉政策に労働インセンティブを組み込みましょうということ。


説明終わり。自分は今のところ労働中心主義者なので、基本的には上に書いたような制度設計を、つまり労働の枠組みにどんどんと人を組み入れて行く方向を支持している。これの対極にあるのが、労働の枠組みから人を切り離そうとする「ベーシック・インカム」ですね。あまり僕の好みではありませんが。なお、過去エントリを一部引用しておきます。

はたらくとははたをらくにすること、という古い言い回しがあるが、肉体労働にせよ頭脳労働にせよ、社会的動物たる人間は少なからず他人に貢献し承認を得たいという欲望がある。はたをらくにすること、すなわち労務の提供によって、労働者は賃金とともに承認を獲得し、充足を得る。働く日常で得られる心の平安はささやかなものだが、世の中は案外、そんなささやかな充足で慰められる人間が多いのではないか。
経済活動は優秀な人間だけでやった方が効率的だ。時間や手間、様々なコストを小さくすればするほど利益は大きい。しかし、優秀な人間に多く稼いでもらってその余剰でもって優秀でない人間を支える、というありかたを自分は支持しない。世の中の大半を占める平凡な人間が、平凡に働き、生活の糧とささやかな喜びを得る。そのささやかな充足が社会を壊乱させるリスクを軽減してきたと自分は考えている。
福祉による給付は、個人が社会と接続する機会を減少させる。社会との接続はもちろんさまざまなストレスを生むが、一方で社会と断絶することによるデメリットも考えておくべきだろう。1993年にECの社会政策グリーンペーパーにおいて「社会的排除」の問題が提起されたが、いわゆる格差社会においてはそれら排除された人々をどのように社会に包含していくかが論点となっている。はてな界隈では、2007年末のNHKスペシャルワーキングプア3」を思い出す向きも多いだろうか。(参考:NHKスペシャル「ワーキングプアIII 解決への道」の感想
当ダイアリでは労働問題を重ねて取り上げてきたが、ここであらためて表明しておく。自分は、労働を通じて社会の安定を達成すべきと考えている。福祉による救済は限定的なもので、就労へのディスインセンティブとして機能してしまうため、サステナブルな社会を構築する際には、むしろ阻害要因となってしまう。それよりも、日々の生活の基盤となる労働という行為を社会政策の中心に据え、もって人間の尊厳と社会的紐帯を回復し、各人がより能動的に社会に参画する機運を育むこと。現代においては、そのような政策的枠組みが求められているのではないだろうか。
ソーシャルスタビライザとしての「労働」 - The best is yet to be.

現在でもおおむね当時と同じ見解を保持していて、要するに社会政策の趣旨が「社会的排除から社会的包含への移行」を目指しているのであるから、労働分野においても積極的にインクルージョンしていくのが道理、というスタンスです。共同体において連帯を形成するのに、(アンペイドワークも含めて)労働者という属性によって社会に参画していることをコアとするのか、それとも何か別の属性に立脚して連帯を形成しうるのか。容易に解が出せる問いではありませんが、今のところは実効性あるアイデアは持ち合わせていません。