なぜ「実子」にこだわる?

高田延彦向井亜紀夫妻の代理出産問題について、子供を夫妻の実子とする出生届は受け付けられないという最高裁の決定がおりた。代理出産についての自分の意見はすでに過去のエントリで書いているが、あらためて繰り返すなら次の2点に集約されるだろう。

  1. 母子関係は分娩の事実によって決定する、という判例に従うのが現行法の下では妥当(参考
  2. 特別養子縁組を行うことで子供の福祉は実子とほぼ同等に守られる(参考

なお、参考までに過去のエントリも挙げておく。

ところで、向井氏がなぜ「実子」という記述にこだわるのか、子供のいない僕には今のところ理解できない。精子卵子とも夫妻のものであるから血統上のつながりは実子と変わりなく、実子とするか特別養子とするかは手続き上の問題に過ぎない。このあたり、向井氏は養子を実子よりも低く見る気持ちがあるんじゃないかとか、あるいは出産経験の有る女性に比べて出産経験の無い女性は半人前と見なす価値観を持っており、実子という肩書きを得ることでそれを社会的に取り戻したいのではないか、などと想像してしまうのだが、女性の間では向井氏の感情をどのように理解しているのだろう?「お腹をいためる」ことがなくとも、母は偉大なりと僕などは思うのだが。
ついでに文化軸の観点で言うと、実子にこだわる向井氏の発想は非常に保守的であると思うのだが、進歩主義を抱くはずの左派から向井氏への目立った批判が見られないのもよく解らない。子宮を失った女性が医療テクノロジーを用いて「実子」を得るという行動そのものが進歩的だから、感情の保守性には目を瞑るということだろうか。