富田メモと戦争の話

あのメモはこれから史料批判を経てようやく議論の俎上にあげることが出来るようになるんだから、今の時点であのメモの内容について論じるのは気が早すぎると思う。右翼も左翼もオタオタするなよ。メモが見つかったことをきっかけにして、歴史とか天皇とか靖国とか戦争について考えるのは有意義だけれどさ。
先の戦争について自分の考えというか立ち位置を少し書いておくと、戦後の日本は、東京裁判を受け入れ天皇の責任を棚に上げることから出発したと思う。東京裁判は不当なものだし、一方的に敗戦国の指導者を戦犯として裁いたこともおかしいとは思うけれど、われわれは負けたのであり、その不当な価値観を受け入れることで壊滅を免れたわけだ。負けるっていうのはそういうことで、だからこそ少しでもこちらの有利になるように終戦工作やら停戦交渉をするわけでしょう。
ポツダム宣言の第5条に、

Following are our terms. We will not deviate from them. There are no alternatives. We shall brook no delay.
(吾等ノ条件ハ左ノ如シ。吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ。右ニ代ル条件存在セズ。吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ。)

とあるけれども、そういう条件を受け入れてわれわれは降伏したのだ(だから「無条件降伏」ではない)。公的には、少なくとも国際社会の認識としては、そうなっている。だから日本としても、公的にはそういうポーズをとらなけりゃいかんだろう。先の戦争について個人がどのように考え、どのような価値観を持っていようとそれは自由だけれども、国際社会のオフィシャルなところでは「あの戦争は迷惑かけましたよね。ごめんね。」というスタンスで行動しなきゃならない。奴隷制みたいなもんで、当時の価値観ではOKだっただろうが、現代においておおっぴらに認めるのはちょっと無理があるでしょうに。
自国の利益のために他国に進出することは、当時の考え方と言うか国際慣行としてはOKだった。問題なのはそれを現代の価値観で断罪することで、それは奴隷制という歴史的事実をネタにアメリカとかを非難するようなものだろう。これはおかしい。今と当時とは価値観が違うのであり、奴隷制じゃなくても、麻薬とか売春が悪とされなかった時代もあったんだ。権益を求めて世界に進出したことをもって日本を非難するならば、それが当時の普遍的な考え方だったことを合わせて言うべきだろう。
この話はどうしても長くなるし論点が拡散しやすいからもう止めておく。ただ、「かくかくしかじかあって、だから正しい」とか「間違っている」と安易に言うことは、非常に危うい議論になるから注意が必要だと思う。個々人はどんな価値観持っててもいいでしょうよ。「あの戦争には意義もあったんだよ。」とか、「仕方なかったんだよ」とかね。でもそれは国内向けの話。外側にはとりあえず反省のポーズ見せとけよ。別に土下座外交しろってわけじゃない。むやみに他国と緊張状態を作ることはないというだけの話だよ。