ジダン騒ぎその3

9日のワールドカップ(W杯)決勝での頭突き事件に関し、チューリヒにあるFIFA(国際サッカー連盟)の規律委員会において、20日に事情聴取を受けたジネディーヌ・ジダンは、結局3試合の出場停止と7500スイスフラン(約70万円)の罰金を科されることになった。すでに引退しているジダンには、さほど厳しい処分ではないだろう。一方マルコ・マテラッツィは、2試合の出場停止を科され、9月6日にスタッド・ド・フランスで行われるユーロ2008(欧州選手権)予選のフランス対イタリア戦には出場できなくなった。
(中略)
すでにジダンは選手を引退しており、3試合の出場停止処分は直接の影響を与えるものではない。そこで「世界のサッカー界が青少年のために行う、FIFAの人道活動に3日間従事する」ことになった。ジダンにとっては最後の贖罪(しょくざい)の機会であり、心穏やかに現役生活を終えることができるだろう。
 2試合の出場停止処分を受けたマテラッツィは、ファイナルの再戦となる9月6日のフランス対イタリア戦には出場できなくなった。ベルリンでの決勝以来、フランスではカンナバーロトッティピルロといったイタリア代表のスターよりも有名になってしまった同選手が、この対戦で手荒い歓迎を受けずに済むようにというFIFAの配慮だろう。当事者双方に3試合と2試合の出場停止を科したことで、永遠に続くかと思われた騒動に終止符が打たれ、モラルは保たれることになった。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/headlines/20060721/20060721-00000013-spnavi-spo.html

ジダンマルセイユヘッドバットに関する一連の騒ぎについて。もうこれで幕引きでしょう。この件を長く議論することに意義を見出している人は、そんなに多くない。Jリーグは再開し、欧州各国でも新シーズン開始に向けて移籍市場とかいろいろ忙しいんだから。

 イタリア代表DFマルコ・マテラッツィ(32)が14日、スイス・チューリヒ国際サッカー連盟(FIFA)本部に出向き、W杯決勝で頭突きをして退場処分となったフランス代表MFジダンに、何を言ったかについて事情聴取を受けた。当初はジダンととともに20日に予定されていたが、マテラッツィが「バカンスが短くなるので早くしてほしい」と申し出たため緊急での聴取となった。ジダンの姉を侮辱する発言を認めたという。処分するかどうかは、ジダンの聴取を終えた20日以降に下される。

 あまりに素早すぎた。FIFAが調査を行うことを発表した翌日、マテラッツィは自らFIFA本部に出向いて事情を説明した。一部報道によれば、文書を提出して姉を侮辱する発言をしたことを公式に認めた。また、その後の聞き取り調査では「姉妹を侮辱するような言い方をしてしまったが、イタリア人ならば普通に使う“売り言葉”で、ジダンの姉を特に意識して言ったわけではない。私は彼に姉がいるのかも知らなかった。あくまで、一般的な侮辱言葉だ」という内容のことを話したという。

 侮辱する言葉が含まれていたことは認めたが、イタリア人にとってはそれほど深刻でないイタリア語の言葉が、フランス人のジダンには深刻に聞こえた可能性を訴えた。午前中に行われた事情聴取は約2時間で終了し、ミラノに戻ったが、報道陣の質問には一切、答えなかった。
マテラッツィ、バカンスのため前倒し自白 - 2006年ドイツW杯 紙面からニュース : nikkansports.com

ジダンが何を言われたか、明らかになりました。
日本では「売春婦のテロリストの息子」と訳され、「売春婦という言い方は、南ではよく使う」と解説されているのをみました。
違いますよ!
間違いじゃないけど、ちがいます!
ジダンは、売春婦を意味するプッターナ・イタリア語、ピュッタン・フランス語と言われたのではなく、それを縮めたピュットゥといわれたようなのです。
この二つは全然意味合いが違います。
元の意味はどちらも売春婦です。でも、前者が非常に日常でよく使われて、1日1回は最低きくのにたいして、後者は私は4年のフランス生活で一度も日常できいたことがありません。それほど恐ろしく下品で侮辱的な言葉なのです。少なくてもフランスでは。
フランス人に言わせると、前者の「売春婦」のイメージは、古代から続くよい?売春婦のイメージも含むのだそうです。なので日常でもよく使い---ただし、女性や、男性でも下品で教養のない男と思われたくない人は使わないように!---ひじょうによく耳にします。下品な言葉を若者の男性はわざと使いたがったりするのはどの国でも同じですが、ピュッタンなら、先生や心ある親に怒られるでしょうけど、まあ許容範囲でしょう。
でも後者の縮めたピュットゥは違います。もう、最低の売春婦というか、メス犬というか、トイレで売春しているみたいな、最低最悪の言葉なんです。
ジダン・本当の侮辱発言の意味:パリ・南仏 コートダジュールの日記:So-netブログ

イタリアでは当然ながらマテラッツィを擁護する意見が多かったんでしたよね。マルディーニなんかは「ジダンを正当化するためにマテラッツィを処分した。」と言ったみたいだし。いっぽうフランスでは、ジダンが何を言われたかを読唇術で推察し、それが判明したとたんにレキップが謝罪したなんて話もありました。
で、上記の新聞記事とエントリを読んで、やっぱり言語ギャップと言うか文化的価値観の食い違いによるもめごとだったんじゃないのかなと思いました。以前の記事にも書きましたけど、たぶんマテラッツィは、イタリアの悪童たちの中では普通に交わされる侮辱の言葉として、その挑発を行ったのですよ。おそらくイタリア語でしょう。ジダンはセリエでプレイしてましたからイタリア語でもまあわかるだろってな感じで。それで推測に推測を重ねますが、あのときのジダンって、頭のてっぺんからつま先までフランス人としての意識が充満していたんじゃないかなあ。何せ自分の現役最後の試合が、国と国のぶつかり合うW杯の決勝です。リーガやセリエの試合と違い、いつも以上にフランス人である自分を強烈に意識していた。だから、イタリア語で行われた挑発の言葉を、フランス語における強烈な蔑みの言葉と「誤解」して、キレてしまったと。

いまテレビを見ていたら、ある日本人の元サッカー選手が「言葉だけであんなに怒るなんてありえない」みたいなことをいい、番組が「いろいろストレスがたまってたんでしょうか」みたいなノリになってしまった。
とんでもありません!!!!!
日本人のみなさん、よーーーーく聞いてください! 日本語には、その一言だけで、相手をものすごく侮辱する恐ろしい言葉はありません。日本語には存在しないんです。私はよくフランス人の特に若い男性に、冗談で下品な言葉を「これって日本語でどういうの」と聞かれる事がありますが、訳がないのです。私が知らないのではなく、存在しないんです。かなり下品な言葉程度ですらそうです。ましてや、一言で相手をおとしめて侮辱する言葉なんて、日本語にはないんです。どんなに向こうが聞いてくるすごく下品で侮蔑的な言葉を翻訳しても「このやろう」とか「くそ野郎」とか「お×××野郎」程度になってしまう。この程度の下品さじゃないんです。しかもこれらの言葉は下品だけど、侮蔑的で相手に屈辱を与えるかというと、そんなことはない。日本語にはそういう言葉がないのです。このことを忘れてはいけないです。
知り合いのフランス人は、マルセイユ近郊のひとです。彼は教養があるほうで、サッカーはあまり興味がありません。やっぱり黒人ばっかりでしっくりこないみたいで、しかも粗野なスポーツという意識があるからのようです。
最初は、この問題も「アホなイタリア人が、アラブ人に罵詈雑言をいうなんて、サッカーらしい」と冷ややかでした。
ところが、ジダンが言われたのが「ピュットゥ」という言葉だと知ったとたん「それはひどすぎる。ジダンが怒るのは当たり前だ。あんなことを言われて、頭突じゃ甘すぎるくらいだ」と態度が一変しました。
ジダン・本当の侮辱発言の意味:パリ・南仏 コートダジュールの日記:So-netブログ

その挑発の言葉がジダンにとってどれほどの侮辱であったのか、イタリア人だけでなく僕ら日本人にも、結局はわからないことなのかもしれません。そういう言葉(=発想)が言語に規定されてない限りは。ジダンがアラブ人じゃなくてベルベル人の出自であることは僕も知ってます。その上で、人種的な差異ばかりじゃなくて、言語によって規定される内面とか価値観のギャップも、争いごとを考える際の重要な要素だなあ何て思いました。
ま、フットボール・フリーク的なスタンスからは、むしろこちらのほうが転換点として重要でしょうかね。

チューリヒに同行したフランス・サッカー協会会長のジャン=ピエール・エスカレット氏は、テレビのインタビュー取材に対して「ジダンは、いつも挑発に反応した者だけが罰されるのは正しくない、として物議をかもした。今日、こうして挑発者が罰されたことで、彼は満足しているだろう」とコメント。さらに「母や姉など家族への暴言――これは世界中のピッチで横行している、いわばよくある不正な行為だが、今まで挑発者が罰されることはまれだった。挑発者も罰されるという例を作ったことは、今後のためにも重要なことだと思う」と語り、この処罰の意味を強調していた。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/headlines/20060721/20060721-00000014-spnavi-spo.html

今までのフットボール的価値観では、挑発にキレたほうが負けだったわけです。暴力行為はダメだけど、挑発するのはフットボールの一部だから、それは咎めるもんじゃない。マテをそんなに責めるなよ、と。従来はそれで済んだわけですけど、今回の事件を機に少しずつ変わっていくんじゃないかなあ。「悪童」マテラッツィが「レジェンド」ジダンを退場に追いやり、現役引退の最後の瞬間を汚した。しかもそれはW杯決勝でのことだった。ね、舞台設定としては実に見事でしょう?
価値観とか常識というものは、少しずつ変わっていくもの。挑発とかマリーシアと呼ばれる行為は、もしかしたら100年後にはフットボールを冒涜する行為としてみなされているかもしれない。今回の一件がフットボールを新しいステージに進ませるものだとしたら、ジダンマルセイユヘッドバットは、マテラッツィの胸板のみならず、旧弊の価値観の壁をも撃ち抜くものだったのかもしれません。