今度こそ

オシムが代表監督に就任したことを受けてというわけでもないが、ジーコジャパンの4年間およびドイツW杯の戦いを自分の中で振り返り、少し書いておく。
ジーコが監督に就任することとなったとき、自分はいささか戸惑った。選手としては神だったけど、監督経験とかまったく無いよなあ?何が出来るの?と。トルシエジャパンはよく戦っていたけど、采配に限界を感じないでもなかったし、日本を新しいステージに進ませるためにはトルシエとは異なるスタイルを導入しなければならない。そこまでは漠然と考えていたのだけれど、じゃあそこでジーコかって言われると、やっぱり首をかしげた。なんとなく期待も不安も感じていた。
2度のコンフェデ、2度の東アジア選手権、何度も重ねられた遠征と強化試合、そしてアジアカップ。選手たちは選手たちなりに必死に戦い、ジーコもまた初めての監督業を必死に完遂しようとした。彼らの中に「負けてもいい」という気持ちで試合に入っていった者はいないだろう(当たり前だけれども)。そして彼らの見せる戦いぶりに、感動させられたことも少なからずあった。
グダグダな試合展開と劇的な勝利を重ねる中で、自分は目をふさいでいたのだろう。「このままじゃ本大会はヤバいんじゃないの?」「いやいや本大会こそはやってくれるさ」という二つの思いが自分の中でせめぎあい、そして本大会を迎え、2敗1分という無残な結果を目の当たりにすることとなった。
あのチームは結局イメージを共有することは出来なかった。パスを出したら走る。パスを出すために動く。パスを引き出すために走る。パスを受けるために動く。こんな簡単なことでさえ、共通理解が無いために、チームとして徹底することが出来なかった。一部の人間が自分の判断でやっていただけ。それは戦術じゃないだろう。
攻撃にせよ守備にせよ、チームとして相手に立ち向かうスポーツなのだから、メンバーが同じイメージを抱いていなければ、チームはひとつの有機体として動くことは出来ない。ラインを上げるか下げるかは、状況に応じて有効な戦術は変わるし選手によって目指すスタイルも異なるけれども、「こういうときは上げる、こういうときは下げる」という共通理解が無くては機能しない。異なるイメージを持つ選手達を束ねるのは監督の仕事。ヒデにはヒデの、宮本には宮本の理想があるだろうが、個々の選手達のスタイルやイメージを束ねて、ひとつのチームに仕上げることがジーコには求められた。そしてそれは失敗した。
ピッチの上ではさまざまなプレイが繰り広げられ、さまざまな状況が現れ、さまざまな現象が起こる。それらの一つ一つに対して事前に対応策を持っておくことはもちろん不可能だけれども、チームの構成員の中に共通理解があれば、即興でもそれなりにチームとして対応することが出来る。しかし彼らはそれが出来なかった。無数の親善試合では出来なかった。本番でももちろん出来なかった。その責任を選手達だけに求めるのは酷なことだろう。
選手達個人個人は、確かに戦っていた。彼らは間違いなく必死だった。しかしそれがチーム全体としてみると、ちっとも戦っているように見えない。それはチームが束ねられてないせいだ。「俺達はこうやって戦う」というイメージが共有されていないから、あらゆる局面で選手が自分だけで対応しなければならなくなるのだ。サッカーにおいての歴史も文化も厚みの違う強国の選手を相手にしては、個の力で勝ちきることはほとんど不可能なのに。
あの惨敗を繰り返すのはもうごめんだ。もう一度、きちんと考えよう。きちんとチームを作り上げよう。サポーターはチームの一員なんだから。目をそらすなよ。日本代表は僕たちの代表だ。だから、まず僕たちが強くならなくては。