滅びる言葉

 アイヌ民族の英雄叙事詩ユーカラが大量に書き残され、貴重な遺産とされる「金成(かんなり)マツノート」の翻訳が打ち切りの危機にある。言語学者の故・金田一京助氏と5月に亡くなった萱野茂氏が約40年間に33話を訳した。さらに49話が残っているが、事業を続けてきた北海道は「一定の成果が出た」として、文化庁などに07年度で終了する意思を伝えている。

 ユーカラは、アイヌ民族の間で口頭で語り継がれてきた。英雄ポンヤウンぺが神様と闘ったり、死んだ恋人を生き返らせたりする物語。

 昭和初期、キリスト教伝道学校で英語教育を受けた登別市の金成マツさん(1875〜1961)が、文字を持たないアイヌの言葉をローマ字表記で約100冊のノートに書きつづった。92の話(10話は行方不明)のうち、金田一氏が9話を訳し、萱野氏は79年から道教委の委託で翻訳作業を続けてきた。その成果は「ユーカラ集」として刊行され、大学や図書館に配布された。アイヌ語は明治政府以降の同化政策の中で失われ、最近は保存の重要性が見直されつつあるが、自由に使えるのは萱野氏ら数人に限られていた。

 文化庁は「金成マツノート」の翻訳に民俗文化財調査費から28年間、年に数百万円を支出してきた。今年度予算は1500万円のうち、半額を翻訳に助成。同予算は各地の文化財の調査にも使われる。

 これまでのペースでは、全訳するのに50年程度かかりかねない。文化庁は、「一つの事業がこれだけ続いてきたことは異例」であり、特定の地域だけ特別扱いはできないという。これをうけ、北海道は30年目を迎える07年度で終了する方針を関係団体に伝えた。

 道教委は「全訳しないといけないとは思うが、一度、区切りを付け、何らかの別の展開を考えたい」としている。

 樺太アイヌ語学研究者の村崎恭子・元横浜国立大学教授は「金成マツノートは、日本語でいえば大和朝廷古事記にあたる物語で、大切な遺産。アイヌ民族歴史認識が伝えられており、全訳されることで資料としての価値が高まる」と話している。
http://www.asahi.com/culture/update/0812/011.html

僕の職場でもアイヌ語関係の資料をいくつか受け入れており、多少思うところはあるのですが。はてブでは文化庁に対する否定的なコメントが目立つけど、役人にそんなこと言ってもしょうがないような。自治体や政府の予算は限られたものであり、文教関係の予算はやっぱり後回しになりがち。格差社会がらみで経済的な問題を指摘する声ばかりが喧しい中、「いや、この事業には文化的な意義があるんです!」と担当者が主張したって、世論の支持がなければ押し切られることは容易に想像出来る。「今すぐ困る人はいない。」とか「アイヌの問題を特別扱いするな。在日朝鮮人だって平等に扱うべきという世間の声があるのだから。」とか反論されそう。個人的には国家事業として取り組む価値があるとは思うが、一般大衆の後押しがなければ無理だろうな。
政治的な話はさておくとして、アイヌ語には固有の文字がない。口承によって語り継がれてきた言語なので、耳で聞いてひらがなやカタカナで記述しないと、研究すること自体が難しい。それからアイヌ語はさまざまな方言があるのだが、アイヌ民族は統一された国家を持ったことがないので、アイヌ語のバリエーションに対して基準となる共通語がない。つまり、耳で聞いたら違って聞こえる2つの言葉があったとして、それが実際に違う意味を持つ単語なのか、個々の話し手のクセ程度の違いなのか、地域による方言の違いなのか、同じ単語だが活用や語形変化の違いなのか、そういったことを理解するのが非常に困難だそうだ。伝説や伝承の聞き取りをしようと思っても、もともと個人の記憶に基づくため、「10年前に聞いたときとは変わってますよ」なんてことがあったらしいし。
研究者に言わせればまだまだ他にも問題はあるのだろうが、とにかくアイヌ語を話せる人もアイヌ語を研究している人も非常に少ない状況にあっては、政治的判断で予算だけ増やしてもどうしようもない面もある。文化的に駆逐されつつあるアイヌに対しては、駆逐した側に立つ者として頭を下げるほかはないが、結局はアイヌは我々にとって歴史年表上の存在になってしまうのだろうな。
(追記)
資料を受け入れる際に書誌データを作るべくいろいろ調べたのだが、萱野茂氏の著作に限らず、アイヌ関係資料は高価なわりにすぐ入手不可能になる印象。アマゾンやbk1で扱ってないことも多いし。それにもともとが音声だから、研究に主観が入りやすい。前途多難。