占星術は疑似科学か

andy22さんが、占星術について述べたエントリに「疑似科学」のタグをつけられたことに対して、お怒りの様子。

昨日のエントリがはてブされてるんだけど、正直そのタグが気に入らない。「疑似科学」っていうのはちょっとなぁ。「思い込み」っつうのもなぁ。そりゃま、占星術を信じない人からすれば、信じるこちらは思い込みの激しい人間以外のなにものでもないとは思うけどさ。こっちは占星術が好きで、いつまでたっても下手の横好きだが、何かことあれば、その時々のチャートを作ってみたり、新しい首相が立てばそのホロスコープを作ってみることを趣味としているような人間であって、そういうサイドを称して「疑似科学」っていうのは、なんか違うんじゃないかなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/andy22/20061217/p2

僕は占星術には詳しくないが、占星術が「疑似科学」かといわれると、確かに違和を感じないでもない。疑似科学というのは、科学の皮をかぶり、科学を装ったトンデモなものとして理解しているが、科学というのは現代科学に限ったものではないし、占星術の成り立ちは現代科学に先んじているものだ。古代バビロニアあたりで、天体の運行を調べることで天の意を知ろうとした営みが占星術の始まりだったかと思うが、それらは今では科学と呼べないまでも、古代においては科学であったろう。
例えば錬金術は同様に現代科学の範疇には入らないだろうが、かつては確かに正当な学問であったし、現代の化学の元になったことも広く知られている。ロジャー・ベーコンパラケルススやイブン・ハイヤーンは、当時の一流の知識人であった。また、博物学もやはり現代では学問としては残ってはおらず、もう何世紀か経てば「現代科学」とはみなされなくなるだろうが、博物学的な研究や思考法は現代のさまざまな学問の基礎的な部分に関わっており、現代科学に不可欠なものである。
重ねて言うが、現代科学の範疇に入らないものでも、かつては科学であった知的営為というのは確かに存在すると思う。先人の歴史的蓄積を無視して、ことごとく「疑似科学」で括ってしまうのは、いささか不遜ではあるまいか。