陰謀論に「反逆する!」

そして、ほとんどの人にとって、世界の真の姿は複雑すぎて、全体像を適切に把握するのはめんどくさいし、時間的にも手間的にも、いちいち自分でしっかり調べるのは現実的ではない。
このため、人々は常に、間違った世界認識をするリスクを抱えている。だから、実際にリスクが現実になってしまって、損害が出たときも、フェイルセーフするような戦略で生きていく必要があるわけだろう。
もちろん、一見、陰謀論を信じた方がフェイルセーフに見えるけど、実際には逆で、陰謀論を信じる方がリスクが高く、損だというケースも多いだろう。
しかし、陰謀論を信じた方がリスクが高くて割に合わないかどうかは、ほとんどの人間にとっては、現実的な手間とコストでの調査の範囲内では判別不可能なのではないか。
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ブックマークコメントにも書いたのだけど、間違った世界観、荒唐無稽で論理的整合性を欠いた世界観が構成員の間に広がると、その世界を管理したり運営したりするコストが大きく上昇するんじゃないかと思う。世界の姿を「完全にきちんと」認識するのは困難だけれど、だからといって正確に把握しようとする努力を怠れば、我々の間で描かれる世界観の齟齬は大きくなり、「リスクが現実になる」機会が増えるのではないか、と。根拠レスの陰謀論が大量に出回るような世の中は、たとえ個々の陰謀論を信じる人の数は少なくとも、全体として「この世界は陰謀が巡らされるような世界である」という世界認識を作り出してしまい、世界をロジカルに運営することを阻害する。言うなれば、陰謀論を信じることは自分が生きる世界の歩留まりを低くする行為ではないか。
自分はそのように考えるので、多少しんどくても自分が構成する世界をできるだけ正確に把握したいと思っているのだけれど、もしかしたら陰謀論に馴染みやすい人っていうのは、「自身が世界の構成員である」という認識が薄いのかもしれないと考えた。自分のふるまいが自分の属する世界に影響を与える可能性を考えたら、むしろ非論理的な陰謀論の流通を押しとどめることが構成員としての責任のような気がするのだけれど。ここでもbewaad氏が言うところの「想像力の欠如」があるのかもしれない。