ついでにノートの話も

「君のノートは君だけの参考書なんだよ」とは、おそらく日本で義務教育を受けていれば3千万人くらいの人が耳にしたであろう言葉ではありますが。教壇でのトークと板書を一つのコンテンツと考えた場合、受信したコンテンツを自分の脳ミソというフィルターを通して現実のレベルにアウトプットすることが、一斉授業におけるテイクノートという行為の本義ということになりましょうか。なので、板書を一言一句間違えず写し取るとか、レコーダーで教師の喋りを録音するというような、「記録」にのみ労を割いた作業は、授業に臨む態度としてはいささか外れているのではと思ったり。まあそれぞれにそれぞれの道があると言ってしまえばそこで話は終わりですが、授業のたびに脳ミソにコンテンツを透過させ、負荷をかけることで知力を鍛えるわけですから、ある程度高等な段階に進んだら記録の作業は止めてしまっていいんじゃないでしょうかね。初等教育においては、反復トレーニングによって「ノートを取る」というタスクを脊髄に覚えこませることも必要でしょうが。「息をするようにメモを取る」みたいな。