サポーターは消費者なのか?

Jリーグ加盟クラブのサポーターとして看過しがたい発言なので、ちょっと反応。

最近、いろんなところで、消費者の暴走が起こっている、みたいにいわれます。
教育なんかでもね。やや眉唾ながらも、「モンスター・ペアレンツ」なんかはその類でしょう。「オレや子どもは金を払ってサービスを受けている消費者なんだから、学校や教師はオレの言うとおりにするのが当たり前」みたいな意識。
最近思うのが、スポーツの世界。
こんな出来事とか。
浦和の惨敗にサポーター“抗議デモ”
これのニュースをテレビで見てましたが、外国では、まず有り得ないシーンだなあと思ったものでした。
僕はアメスポ好きですが、もちろんアメリカにもダメチームはあるし、それに腹を立てるファンもいます。
しかし、だからといって、「責任者出てこい!」ということにはならないし、仮にいわれたとしてもノコノコ出ていってファンの前で頭を垂れて謝罪する社長やGMがいるなんて考えられない(あるとすれば裁判でしょう。他都市に移転したチームを訴える、というのは、けっこう聞く話です)。
つまり日本では、スポーツ観戦も、消費の一つなんですな。オレは試合という商品を買っているんだ。なんでオレの思うとおりの試合をしない。責任者に文句をつけてやる。
ここでは、ファンという名の消費者が、絶対的に優位に立っている。そういう図式が見えるのです。
消費者至上主義 - seanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー

スタジアムを訪れる観客はことごとく消費者ではない、とまでは言わないけれども。あそこで抗議を行ったレッズサポを、モンスターペアレンツ等と同じ枠組みでとらえてよいものだろうか。
自分は、サポーターという存在はいわゆる「消費者」とはいささか立ち位置が異なると思っている。なぜなら、消費者が購入しているのは試合というコンテンツなのだから、それがつまらなければ別の試合を観戦すればいいのであり、そのチームに執着する義理も義務もない。スカパーでJリーグの各試合はすべて中継されているし、プレミアリーグでもセリエAでも、世界各国のトップディビジョンの試合を自宅で見ることができる。あるいは首都圏ならちょっと足をのばせば多くのスタジアムに行くことができ、各節ごとに面白そうな試合をチョイスして観て回ればよい。
プロスポーツの試合というのは興行である。映画や芝居を見て楽しむのと同じように、試合というコンテンツを見てお客様に楽しんでいただくことで、商売が成り立つ。客は試合を見ていればいい。消費者という立ち位置のままでいい。
サポーターというのは客ではない。客はおおむね中立だが、サポーターは自分がサポートするチームに肩入れして観ている。いや、そもそも観戦するというのがおかしいのだろう。サポーターの本務はチームをサポートすることにある。観戦しているのは客の方であり、サポーターは「戦っている」のだ。選手とともに戦う人々、それがサポーターだ。
観客席にいるのに「戦っている」とは、はてな?と思うだろうか。そのとおり、サポーターってのは半ばイカれているし、その精神構造は狂信者と大差ないと思う。何せ、サポーターがスタンドで唄う歌のことを「チャント」って呼ぶくらいだから。
サポーターの肉体は観客席にあろうとも、その精神はピッチにある。サポーターがレプリカユニフォームをまとい、選手名をコールし、タオルマフラーを掲げ、チャントを唄いつづけるのは、選手たちを鼓舞するため。スタジアムを声と唄で満たし、エネルギーを送り続け、選手にパワーを与えたい。本拠地となるスタジアムを「フランチャイズ」ではなく「ホーム」と呼ぶのは、単なる呼称の違いではない。「このフィールドは俺たちの庭だぜ」という矜持の現れなのだ。
だから、上で引用したようなサポーターを消費者として見る枠組みは、まったくの誤解だと思う。客だから、消費者だから不満を表したのではない。目の前のチーム、自分たちのチームが歯がゆいから、声を挙げたのだ。ポテンシャルを発揮できず不甲斐ない姿を見せるチームが哀しくて、声を挙げずにはいられなかったのだ。
サポーターについて考えたことのある人間なら誰もが知る、現日本代表監督・岡田武史の言葉をまたも引こう。

そこがファンとサポーターの違いですよ。サポーターはチームと共に闘うなかで感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う。
社会はスポーツとともに 玉木正之コラム「スポーツ編」バックナンバー

ただし、チームとともに戦っていると言っても、チームの勝利すなわちサポーターの勝利ではない。サポーターは、チームの勝利の喜びをほんのひと時だけ分かち合うことしかできない。サポーターは永遠に勝利することはない。サポートするとはそういうことだ。
チームは公共のものであり、自分たちのものである。自分たちの愛するチームだから大切にしたいと思う。ずっと歴史を積み重ねていって欲しいと思う。だからサポーターはチームをサポートする。株主でもなければオーナーでもないけれど、サポーターはチームの一員であるかのように試合に臨み、その土地のフットボール、その土地の文化の一端を担うべく、ステークホルダーとして能動的に行動する。受け身ではなく、自らコミュニティの一部に連なろうとするポジティブな姿勢を持ってこそ、サポーターという存在に価値が生まれる。
もちろん、選手のゴシップネタに詳しかったり、グッズを大量に持っていたって、それはサポーターを名乗る根拠にはならない。たとえチームに関わるものを何一つ持っていなくても、チケットを握りしめてスタジアムに駆け込み、試合が終了するその瞬間までチームのために祈りを捧げられるのなら、それは立派なサポーターだ。
サポーターとは、その魂によって規定されるのである。