ただ「違う」だけ

前のエントリについて、sean97さんから反応していただきました。
またしても「どっちもどっち」…… - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー
しかしながら、どうも噛み合ってない気がするので、もう一度書いておきましょう。
まず、当方は「スポーツ観戦=消費行動」という図式それ自体は、特に異論はありません。けれども、「消費」という言葉は実に便利なもので、スポーツを観戦する行為を消費という言葉で括ってしまうと、そのスポーツ観戦という行動の内実を見誤ってしまうのではないか、と思っています。言い換えれば、それは「消費」という言葉の意味を拡張させすぎているのではないかと。ゆえに、「消費」の意味をあえて狭く捉え、スポーツ文化におけるサポーター概念は既存の「消費」の射程にとどまらないだろうというのが、当方の意見です。
繰り返しになりますが、フットボールを通じて能動的に文化の形成に関わってゆくことがサッカーにおけるサポーターの特性である、と僕は思っています。誤解して欲しくないのですが、それはサポーターがファンに対して優越するという意味では全くありません。サポーターとファンでは、立ち位置が違う、行動様式が違う、思考原理が違う、という辺りまでは言えるでしょうが、だからと言ってサポーターだからファンより偉いなどとは考えたこともありません。スタジアムで試合を観戦している時、自分が立ち上がってチャントに喉を枯らしたりタオルマフラーを掲げたりしている一方、隣の座席の客が拍手のそぶりも見せないというようなことはしょっちゅうありますが、互いにチケット代を払って入場している限りどのような観戦スタイルを取ろうがその人の自由でしょう。もう一度言います。僕はサポーターとファンが「違う」と言っているのであって、どちらかが「偉い」とは言っておりません。前のエントリ(と引用した岡田武史インタビュー)を読み直してください。僕は「消費」が卑しいものであるとも主張しておりません。「消費」の概念からはみ出すのがサポーターだと言っているのです。
sean97さんはアメスポのファンですし、「サッカーなんて子どものお遊び」と仰るぐらいですから、フットボール的なサポーター概念は馴染みがないのでしょうか。そうであるにしても、たとえばアメフトのグリーンベイ・パッカーズなんか、すごくサポーター的な文化に支えられているんじゃないですかね。手軽なところでWikipediaから引きますと、

パッカーズのファン層は、献身的なことで有名である。チームの成績に関わらず、1960年以後、ランボー・フィールドでの試合の入場券はすべて完売している。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中で最も多い(65,000人以上)。現在、シーズンチケット入手までの待ち時間は、およそ35年である。このため、ファンがシーズンチケットの相続人を遺言で指名することも珍しくない。
また、マンデー・ナイト・フットボールのTV放映で最も全米の人気が高いのも、パッカーズの試合である。
パッカーズファンの通称は、「チーズヘッド」(穴あきチーズのようにスカスカの脳、というのが元々の意味) である。これは、ウィスコンシン州がチーズの生産地として有名なこととファンとしての熱狂ぶりとを掛けたあだ名である。ファンは、この名になぞらえてチーズ形の帽子をかぶり、「チーズヘッド」の名をますます高めている。
グリーンベイ・パッカーズ - Wikipedia

というようなくだりは、実に文化的な営みに思えるのですが、それを「消費」の一言で塗りつぶしてしまってよいのでしょうか?フットボールに限らずスポーツに関心を持つひとりとして僕は、スポーツを観戦するという行為に言及するならば、その内的・文化的な差異について無関心でいるべきではないと考えます。
・・・うーん、何を書いても伝わらない気がしてきた。カテゴリが全然違うけど、サンカとかってこんな気分だったのかしら。無理解の中で徒労感とともに押し潰されていくような。
それから匿名ダイアリでも触れていただきました。
『サポーター』って何だ、という結論の出ない問題に対するアプローチとオマケ
総論としてはおおむね妥当でしょう。二点だけ。

id:rajendra氏の
>たとえチームに関わるものを何一つ持っていなくても、チケットを握りしめてスタジアムに駆け込み、試合が終了するその瞬間までチームのために祈りを捧げられるのなら、それは立派なサポーターだ。
という意見には自分は否定的だ。
自分は、例えスタジアムで直接応援していなくてもチームのポスターを店頭に貼ったりしてくれる『サポートショップ』の人は十分に『サポーター』の資格があると思うからだ。
そういう人たちも、文字通り『支援者』であるから。

「スタジアムで直接応援していないものはサポーターではない」などと排他的なことを僕は主張していないので、誤解なきよう。「チームのために祈りを捧げる者はサポーター」という命題の対偶は、「サポーターでない者はチームのために祈らない」です。我がアビスパ福岡にあっても、当然ながら陰日向にクラブに協力してくれているさまざまな人々がいて、アビスパを取り巻く文化の一端を担っている。有名無名にかかわらず、コミュニティに連なるすべての人は当然にサポーターですよ。

私がこのエントリーを書こうと思った理由の一つは、id:rajendra氏が「アビスパ福岡サポーター」だから。
議論の元である「浦和レッズサポーター」や「ベガルタ仙台サポーター」だったとしても、こうして書いただろう。
id:rajendra氏には申し訳ないが、「そういうチームカラーのサポーター」がアツい意見を書いてもな……と。
「そういうチームカラーじゃないサポーター」が「ま、そういうのもアリじゃね。いろんな意味でさ」ということを書く意義がそこそこあると考えたのだ。

サッカーに詳しくない方はご存じないだろうが、アビスパ福岡のサポーターには、非常に評判の悪い団体が含まれている。というか、福岡サポの中核をなすのが、そのサポーター団体なのです。福岡サポの全てがそうであることではもちろんないが、僕が福岡サポであるがゆえにサポーター概念を誤って理解されるのは残念なことだ。この匿名ダイアリを書いた方は川崎サポだそうだが、もっと多くのサポーターに、自身のサポーター観を語っていただけたら幸い。