まずは自分でやろうよ

他のジャンルもカバーできるような普遍的なものを目指すとしても今のところはやっぱりフェミニズムは世の中のあり方に対して「女性にとってどうか」ってのを第一に考える思想・運動なんだから、自分は不当な目に遭っている、世の中おかしいと感じる男性は、まずはフェミニズムの働きを当てにせず自分たちで世の中のあり方を問い直す思想や運動を立ち上げたほうが利益にもなるだろうし、面白いような気がする。
http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060712/p1

今になって、「フェミニズム」という立場から、そのようなことを平然と言えるのか?
私の記憶が確かならば、フェミニストが社会運動をして来た大義名分は「男女平等」であったように思うのだが。そして、そうであるならば、例えば女性が男性より不当に優遇されていることがあった時など、その不平等についても訴えなければならないはずでは?
http://levoyage.seesaa.net/article/20691064.html

ただ、上のような物言いに対して違和感を覚えてしまうのは、果たして「フェミニズム=男女平等」なんだろうか、ということが私の頭にあるからだ。もちろん、そういうイメージがあるのも知っているし、男女平等がお題目として唱えられてきたこともあるんだろうけど、フェミニズムの主張には「女性解放」や「女性差別撤廃」というものあったはずだ。
フェミニズム=男女平等? - Imaginary Lines

もしフェミニズムが僕が感じたように「ジェンダーフリー」を目指すものではなく「女性のための運動」なのだとしたら、僕はがっかりする。っていうか、した。そうなのだとしたら、僕は「『ジェンダーフリー』には賛成だけど『フェミニズム』には反対です」という立場を取る。だってそれ、「ジェンダーフリー」じゃないもん。
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/07/post_95cb.html

いずれも一部抜粋。なんていうか、フェミニズム(あるいはジェンダーフリーなど)といった言葉についてのみんなが考える定義や語意が違うせいで、意思疎通に齟齬が起きているように思った。
まず最初に自分なりの「フェミニズム」についてのイメージを書いておく。世の中にはさまざまな理不尽さとか不公平な事柄が多くあるんだけれども、それらに対してたいていの人は愚痴をこぼしたり歯を食いしばりつつ、何とか折り合いをつけて生活している。で、それらの理不尽な事柄の中でも特に、女性が「女性である」というだけで男性に比べて不公平な扱いを受けているときに、それらを回復させようとする考え方をフェミニズムと捉えている。これはあくまで女性のこうむっている理不尽さを解消することを目指すものであるから、フェミニズムを実践する主体は男性でも女性でもかまわないし、副次的に男性の受ける不公平が解消されるとしてもそれはそれでよい。また目的はあくまで理不尽さを解消することであって、女性の権利が無制限に男性の権利に対して優越することは望ましくない。穴をふさぐというか、マイナスをゼロに戻すことが目的。「女権拡張」というとゼロを通り過ぎてプラスまで持っていくようなイメージを抱くので、それは何か違うと思う。被害を受けるポイントはいくつもあるのだから、ある論点についてゼロまで回復できたら、行動や議論の焦点は別の被害に向けられるべきである。
弱者男性の生きづらさの解消については、もちろんフェミニズムが弱者男性と連帯することはあってもよいのだけれども、フェミニズムに男性の理不尽さの解消を求めるのは違和感がある。男性側はまず自分自身でその不公平さを解消するように努力するのが筋であって、フェミニズムに頼るのはおかしい。フェミニズムとは異なる、男性の権利を女性並みに引き上げようとするismを別に確立すべき。「先ず隗より始めよ」というわけじゃないが、自分が感じている生きづらさはまず自分で何とかするのが当然であって、いきなり他の思想や運動に頼るのは、やっぱり「順番が違う」と僕も思います。
自分自身のことを考えても、人生のなかで男だからという理由で不利益や理不尽さを甘受しなければならない場面はいくつもあったけれども、それを何とかするのにフェミニストに頼ろうなんて考えは全くなかった。それらは僕自身が、あるいは僕ら男の側がまず立ち上がるべきことのはずなので。映画館のレディースデイとかホテルのレディースプランとかは、単なるビジネス上の戦略だと思うのでどうでもいい。女性に人気があったほうが儲かるというだけの話だろ。あ、男性立ち入り禁止のカフェやレストランなんてはちょっとムカつくかな。オレも入れてくれよ。大人だってお子様ランチ注文できるじゃん!