学歴詐称

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200611020083.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20061102k0000e040087000c.html
学歴詐称というと大抵は高く偽るものですが、上記は職を得るために学歴を低く偽った事例。以前にも青森でありましたね。市バスの運転手になるのに、募集の要件として中卒・高卒に限定されていたけれども大卒者が偽って就職していた事例が。処分そのものは妥当と思いますが、何ともモヤモヤ感が漂います。
最近は大学進学率は高まる一方ですけれど、家庭の事情とか経済状況によって大学進学がかなわなかった人たちというのは一定数いて、そういう人たちに対する保護的性質でもってこういう制度が設けられているわけです。いわゆるアファーマティブ・アクションですね。アメリカの黒人やインドの被差別カーストに対しての措置政策がよく知られているところで、これらの制度は格差の解消につながりますから、僕は肯定的に捉えています。今回のケースでは大卒者が高卒者の就業機会を奪った形になりますから、仕方がないというところでしょうか。「最初から学歴不問で試験しろ」という意見も見かけましたけど、中卒者と大卒者が同じように争えばさすがに大卒者が勝つでしょうし、それでは保護になっていません。中高卒者にも門戸を開くことが政策として求められているのであって、大卒者は大卒者だけで採用枠を争うべきでしょう。大人と子供でイス取りゲームしても結果は見えています。中卒にデラホーヤみたいな人はいませんよ。チャベスだって1000人に1人もいないでしょう。
このような優遇策については大卒者に対する逆差別という批判も根強くあって、確かに昨今の就職難を思えばそう言いたくなる気持ちもわかります。とにかく生きるためには喰わねばならないし、喰うためには仕事が必要ですから。けれど、それで中高卒者を責めるのはおかしい。現実に一般企業では大卒ばかり求められているのですし、労働市場の中で公的機関が低学歴者の雇用を吸収する役割を果たしていることは評価すべきことでしょう。まあ過剰に優遇すると、いわゆる同和利権みたいなことになって、あまりよろしくない状況になるでしょうが。
結局のところ、景気が良くなりさえすれば雇用状況は回復するはずで、そういう意味では構造改革なんかよりもデフレ脱却・インフレ志向の政策を期待しているのですが、世間一般のインフレ恐怖症はなかなか根強いところですね。それにしても、「生きるために、仕事が必要だった」がキーワードになっているなんて、はてなは恐ろしいところだ。
(追記)
モヤモヤ感の話が中途半端だったので書いておきます。前述のように処分は不当なものではないと思いますが、一方で処分された人たちもこれまで大過なく仕事に従事してきており、在職し続けても誰かに迷惑をかけるわけではないし、いきなり人手を失う当局としても困った事態でしょう。要するに処分しても直接に利益を得る人はおらず、処分された側は当面の生活に困窮する可能性があるので、モヤモヤした気分になったのです。
ついでに言っておくと、行政というのは弱者に対する保護も仕事のうちなわけですが、弱者を保護する主体が強者によって構成されていてはきちんとした保護政策が行われないのではという懸念もあり、そういう意味で低学歴者など多様な人材を行政のうちに抱え込むことは、結局は国民にとっての利益になるのではと思います。