モロトフ

モロトフのカクテル」という言葉がある。かつてフィンランドが対ソ戦を戦っていたころ、フィンランドで使われた火炎瓶のことだ。

昔々、第二次世界大戦初期の頃、ドイツがポーランド侵攻した混乱に乗じ、ソ連が火事場泥棒的に、旧帝政ロシア領であったフィンランドに対し領土割譲を強要し、これにフィンランドが拒否したことから、ソ連は大軍を派遣して侵略戦争を起こします(これがいわゆる「ソ・フィン戦争」または「冬戦争」)。
その戦争で、ソ連外相モロトフが「ソ連軍が市街を爆撃している」とのフィンランドの報道に対し、「爆弾ではなく人民にパンなどを投下している」ということを言ってのけた。それから、フィンランドの人々は皮肉を込めてソビエト爆撃機を「モロトフのパン籠」と呼ばれるようになった。また、これと同時期、対戦車砲に乏しいながらも善戦していたフィンランド軍が頻繁に使った火炎瓶のことをしゃれを利かせて、「モロトフに捧げるカクテル」という事で「モロトフ・カクテル」と呼ばれるようになりました。とさ。
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/heiki/morotov.html

引用記事にもあるように、このモロトフというのはソビエトで活躍した政治家で、特にスターリンの側近として外交に手腕を発揮した。独ソ不可侵条約を締結したことや、後年までスターリンの愛称「コーバ」を用いた唯一の人物であったことなどが知られているだろう。トリビア的なところでは作曲家のスクリャービンの甥っ子でもある。スターリンの勢力維持に力を発揮したが、猜疑心にかられたスターリンによって妻は収容所に送られ、またスターリン死後はフルシチョフによって追い落とされるなど、その政治家生活は安らかなものではなかったという。しかし、ソビエトおよび共産圏の基礎を作った人物の一人として、その事跡は例えば歴史人物事典などの一頁を費やされる資格があると思う。ふとこの人物のことを思い出したのは、久々に見返した古いメモ帳に彼の名が記されてあったことと、彼が亡くなったのが20年前の今日、1986年11月8日のことと知ったからである。
(記憶の維持のため、今後は折に触れて、「今日は何の日」的なエントリを書いていくつもり。モチベーションが続けばね。)