日銀の独立性

自民党中川秀直幹事長は14日、愛知県豊川市で講演し、日本銀行が利上げに踏み切る方向となったことについて、「政府の景気判断に変更はない。12月に(利上げの)判断を見送った日銀が、今月政策変更する合理的な理由は見あたらない」と述べ、日銀を強く牽制(けんせい)した。さらに中川氏は、日銀が利上げに踏み切った場合、政府が日銀の議決の先延ばしを求めることができる「議決延期請求権」を行使すべきだとの考えも示した。
安倍政権が掲げる経済の「成長重視戦略」の旗振り役を自任する中川氏としては、政府がデフレ脱却に取り組む中での利上げは景気の拡大を阻害する要因になりかねないと懸念。政府方針に足並みをそろえるよう日銀に異例の「最後通告」を突きつけた形だ。利上げについては大田経済財政相も14日のテレビ朝日の番組で「消費は弱くなっている。これが事実。この認識のうえで、日銀が責任をもって判断すると期待する」と述べており、17、18両日の金融政策決定会合に向け、日銀の最終判断が焦点になる。
中川氏は、講演で「政府・与党は今年3月までにデフレ脱却させると公約した。ここは政府・日銀が共同責任で頑張らないといけない」と指摘。さらに、日銀法が定める議決延期請求権に触れ、「日銀が抵抗するなら、政府は権利を行使する義務がある」と強調した。速水優前総裁時代の00年8月のゼロ金利政策解除の際、利上げを決めた日銀に対する議決延期請求を日銀が拒否した経緯にも言及し、「そういう道を繰り返すならば、重大な法制度の欠陥ととらえざるを得ない」と述べ、日銀法を改正する可能性も示唆した。
日銀の金融政策は、9人の政策委員の多数決で決まる。政府は議決延期請求権を行使することで議決先延ばしを求めることができるが、延期するかどうかの最終決定権は政策委員が持つ。
http://www.asahi.com/politics/update/0114/009.html

どうも日銀は本気で利上げに踏み切るらしいが、それを受けて中川幹事長が日銀を牽制した形か。利上げを巡る冒険 - 巡回記にて、日銀の独立性に関する明快な文章を見付けたのでメモっておく。

●不人気な政策を行うための独立性

インフレの時期に、マクロ経済の安定化のため不人気な金融引締めをあえて行うことが中央銀行の責務であり、そのためにこそ独立性は政府に対してだけではなく、議会に対しても保証されねばならない。このことは、じつはインフレの場合にだけではなく、デフレの場合にも成り立つのだ。いや、上に説明したように日本に関するかぎり、デフレの場合にこそ国民の反対を押し切ってでも強力な政策をとることが、中央銀行に求められているとさえ言えるのである。ところが、速水総裁の選択した中央銀行の独立性を発揮する方向はまったく逆だったのである。


2000年8月のゼロ金利解除は、こうした独立性に関する速水日銀の誤解を白日の下に晒すことになった。当時、ITブームの余韻冷めやらず、日経平均株価は2万円台にあり、景気は拡大局面にあった。だが、その拡大は史上最高の失業率を記録したところからの拡大に過ぎなかったし、多くのIT企業が上場しているNASDAQ市場は5月には暴落しており、肝心のITブームの行方には警戒信号が点滅していたのである。しかも、デフレは依然としてつづいていた。さらに、OECDIMFといった国際的な経済政策機関、アメリカ政府、日本人以外の有力なマクロ経済学者のほとんどすべて、そして日本政府も、この時期の金利引上げには反対を表明していたのである。ところが、そうした批判を無視して利上げが実行された。その理由付けは、明らかにゼロ金利をつづけることが日銀にとって屈辱的である上に、その維持を外部から強要されることに対する反発だったのである。つまり、独立性が貫徹されたのだ。そして、日本の多くのマスコミはこの決断を英断と褒めたたえ、日銀に不当な干渉を加える政府を批判したのである。


こうした経緯を見てくればもはや、何が構造問題なのかは、明らかだろう。現在の日銀は、本来要請される中央銀行の独立性を保ってはいないのだ。内外の政府や国際機関あるいは経済学者の「干渉」からは独立しているが、専門家集団として、必要であれば無視しなければならない近視眼的利害にのみ忠実な「世論」に対して独立性を発揮していないのである。プロ中のプロと賞賛される新総裁は、果たして専門家としての責務をまっとうし、真の意味での日銀の独立性を貫徹できるのだろうか? 日本経済の運命は、まさにこの一点にかかっていると言っても過言ではないのである。
『日銀の独立性』再考