分け入っても分け入っても未知の道

センター試験が終わり、受験生も一息ついているこの時期だが、ネット上では勉強する意味が問われている。子供に「どうして勉強しなければならないの?」と聞かれたら、皆さんはなんと答えるだろうか。「将来幸せになるため」、「立派な大人になるため」などはすぐに思いつくだろう。
「分裂勘違い君劇場」では、そうした答えに納得のいかない人のために、「どうして勉強しなければならないの?」という疑問に真剣に答えている。同ブログ上では、「英語ができれば、リュックひとつをもって外国を旅行することができる」、「教養があればあるある大事典を見てそれが本当の情報なのか判断できるようになる」といった具体的で身近な説明がなされていた。
こうした説明を受けネット上では、「私だったら考えずに勉強しろと言う」、「そもそも勉強の意味について親子で話し合える環境を作ることが大事」など各々の勉強の意味についての考えが飛び交っていた。
http://news.ameba.jp/2007/01/3029.php

義務教育、あるいは高校レベルの勉強について、「自分の役に立つのか立たないのか」という視点だけで語ろうとすることは不毛でしょう。君はあと50年くらい生きるんだよ?そんなに近視眼でどうするのか。
世の中はすぐに飲み込めることばかりで構成されているわけじゃない。何度も咀嚼して、反芻して、ようやく腑に落ちることはたくさんある。初めは判らなくても、とにかくやっているうちに理解できるようになることは確かにあるのであって、そういう感覚を成長期に身に付けておく経験は大切だと思いますよ。
もちろん役に立つかどうかだけで言っても、基礎的な知識と知性は有用ですけどね。人生の最終局面に立ってみて初めて必要不必要などということは得心できるのであり、先を予知できない凡人なら尚更、思考の土台はしっかり作っておくべきです。拳を駆使して闘うボクサーが足腰を鍛えるのは、まさしく拳を自在に振るうためなのですから。