コトダマのクニに火矢が降るのだ

つまり炎上、と。いや思い付いただけです。

問題になっているのは松江市で27日あった自民党県議の後援会の集会での発言。柳沢氏は、少子化問題にふれた際、「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れつつ、「15〜50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」などと発言したという。
http://www.asahi.com/politics/update/0128/009.html

不要な例え話で余計な火種を巻いたのは支持率が高くない内閣の一員としては脇が甘い、という批判はさておき。仮にこれが、男女を入れ替えて「男は種を付ける機械」という言い回しをされたとしよう。僕がどこかに婿入りしていて義理の両親からそのように言われたならば、それは大いに傷付き腹も立てようが、そうでなければ誰が言おうとも腹は立たんな。人間を、何がしかの機能なり能力に焦点を当てて捉えようとするならば、個々の言い回しやレトリックや論理構造に、公序良俗とは相容れないものが入ってくるのも自然なことだし。瞬間湯沸し機の様に頭を沸騰させるほどのことではない、と思う。「亭主元気で留守がいい」とか「旦那は給料運搬人」的な文脈は世間にいくらでも転がってるのにな。それとも言い回しが穏当だったら批判しなかったの?
この騒動を見ていると、かつてパキスタンのブットが日本人をエコノミック・アニマルと評した件を想起しますね。といっても僕は生まれてませんが。

●日本人はエコノミック・アニマル
1965年6月に開催されたアジア・アフリカ会議が始まる前、パキスタン首席代表ブット外相が日本の新聞社特派員の質問に、「新聞記者ふぜいの知ったことではない。日本人などは金に飢えた動物で、政治のわかる動物ではない」という暴言を吐いたという記事が、同年6月28日付日本経済新聞夕刊に載っている。ブット外相が使った英語は economic animal、political ani-mal だったに違いない。
しかし、これまでに何人ものイギリス人の知識人に聞いてみたのだが、economic animalには侮辱的な意味はないというのである。それどころか、むしろ褒め言葉であるとさえいう。
英国の偉大な政治家だったウィンストン・チャーチルは、よくポリティカル・アニマルだといわれた。他の分野はいざ知らず、こと政治にかけては才能がずば抜けているという意味なのである。
ブット氏は、オックスフォード大学を卒業し、その後同大学で教鞭をとったこともあり、完璧なイギリス英語を話す人だった。少なくともイギリス英語では、エコノミック・アニマルという表現は少しも侮蔑的ではない。
そもそもアニマルという言葉を聞いて、「獲物を追い求める貪欲な動物」というイメージを持つことが正しくない。そのような貪欲な動物のことは、ビースト (beast)という別の言葉が存在する。ディズニーのアニメで有名な「美女と野獣」の原題はBeauty and the beastなのである。
経営者倶楽部:「エコノミック・アニマルは褒め言葉だった」

柳沢発言に反感を覚えること自体は、別に奇異ではない。だけど、批判するにしてもヒートアップした頭を少し冷やしてからじゃないと、何を批判しているのかがこんがらがるでしょう。「天皇機関説糾弾事件」の時の怒号と同質というkeya1984氏の指摘は、非常に真っ当に思えますね。少子化を語ろうと思ったら女性の出産「機能」に触れないわけにはいかないし、そもそも社会科学は人間を要素と見做さずには成立しないのではないのかな。発言をそれだけ切り取って非難するのって、言葉狩りみたいでげんなりしますね。