フランスのレディ・ニュートン

NHK E=mc2アインシュタインと世界一美しい方程式 見たよ - finalventの日記
finalventさんの上記のエントリを読んで、昔少しだけエミリー・デュ・シャトレについて調べたことを思い出した。いや、フランス語的にはエミリとするのが正しいんだっけ?ともかく思い出したことを適当に羅列。
エミリ・デュ・シャトレ公爵夫人はフランスの大思想家ヴォルテールと愛人関係にあったが、お互いにかなり激情的な性格だったようで、来客中でも構わず喧嘩していたそうだ。しかも客にわからないように英語でやりあったとのこと。いやはや。ヴォルテール曰く、「女であるという唯一の間違いを除けば、偉大な人間である」だって。
エミリがニュートンの大著『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』をラテン語からフランス語に翻訳したことは、ヴォルテールがフランスからイギリスに逃げている間にニュートンの思想を信奉するようになり、フランス帰国後にニュートン力学を伝道しようとつとめた事実と合わせて考えるとなかなか興味深い。エミリがフランス語訳を手がけたときには、ニュートンは既に死んでるんだけどね。
で、エミリはヴォルテールに紹介されて数学者のモーペルテュイを数学の家庭教師につけてもらう。モーペルテュイについては「最小作用の原理」とかでググればその科学史的な位置づけとかも解るだろうけど、ヴォルテールより少し年下で、同じくニュートン力学の伝道者でもある。モーペルテュイに師事して数学やニュートン力学を学ぶことでプリンキピアの翻訳はできたんだけど、そのついでというか、モーペルテュイともエミリは恋人になったんだそうで。奔放ですな。
ちなみにモーペルテュイはあとでヴォルテールと論争になって、晩年はベルヌーイ一族の誰かの家で過ごしたそうだけど、どのベルヌーイかは忘れた。ヤコブかヨハンかダニエルのどれかだろ、たぶんw。
それで、エミリは翻訳作業の間に妊娠するんだけど、その相手は夫である侯爵ではなく、愛人関係にあるヴォルテールやモーペルテュイでもなく、10歳年下のサン・ランベール侯爵という詩人で、産後の肥立ちが悪くてそのまま亡くなってしまった。42歳という高齢での出産と、妊娠中でも寝る間を惜しんで翻訳を続けていたことが、体力を奪ったんだろうね。分娩の際には夫やヴォルテールら愛人がそろって見守っていたというのも現代からするとちょっと理解しがたいw。
だから、フランス語訳『プリンキピア』が出版されたのはエミリの死後。ヴォルテールが序文をつけている。とりとめもなくなってきたからこの辺で。