専門知への不信

383: 名無しさんの冒険  2007/03/13(Tue) 22:22
>>379
専門知が信頼されないのって、もっと単純なことなんじゃないの? そこらへんの
学部卒者に聞いてみれば分かるが、学部以上の文系高等教育(専門知)って大半の
パンピーにはイヤな思い出でしかないのよ。経済だと「わけのわからない計算をやら
された」とか法学だと「晦渋で訳が分からなかった」とか。何とか最低限の勉強だ
けして単位だけは取るけど、もう思い出したくもない人も多いんじゃない?
何とか万人に広く薄く詰め込めるのは初等中等教育までかな、という感じなんだけど。


学部卒者でさえそうなのに、初等中等教育で落ちこぼれた人・中等教育までで済ませ
た人の「教養」「知識」「学歴」に対する敬意と軽蔑の二律背反は凄いものがある
よ。自ずと専門知は尊敬されつつ軽蔑される宿命にあるんですよ。
企業人も知力シグナリングとしての「学校の成績」「偏差値」「学部名」(文学部
とかその他訳のわからん学部よりは法・経済・経営・商)の有効性は認めているが
(誤解している先生がいたけど、企業の本音は「専門性」よりも基礎学力であっ
て、底辺普通科よりも優秀な専門高校生の方がマシに見えるのも別にスキルの有無で
はなく「学力」にこそ鍵があるんだけど)、学問の中身は必ずしも好きじゃないしねえ。


http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/1183/383

もしこのような認識が広く共感を得るようなものであるとしたら、なんとも形容しがたい倦怠感を感じます。
確かに大学で学んだ法学やら何やらは、どれも難しくてややこしいものではありました。しかしその難しさゆえに、当該学問分野における複雑精緻な専門知の蓄積と重みが感じられ、ひいては数多の先哲によって積み重ねられてきた学問に対する敬意を抱かせたと思うのです。
専門家がトンデモなことを言えば人々はその専門家に対する信頼を低下させますが、用いられる知識が高度になりブラックボックス化が進むと、人々は個々の専門家ではなく当該分野の専門知そのものを見くびるようになるのではないか、そういう印象を僕は持っています。そしてその背景には、個人個人がそれぞれに触れてきた専門知に対して信頼していなかった、信頼するほどの研鑽を積めなかった、そういう状況があるように感じました。
"Easy Come,Easy Go."とはお金に関する諺ですが、職能への信頼についても似たようなことが言えるのかもしれません。