告発者に苛立つよりも

あらためて、「健全な事業者は健全な市場に宿る」との思いを強くする。

あくまで法律を守れというなら、それに従うことは簡単である。賞与をカットして、残業手当にまわせばいい。しかし、その告発をした者はそんなことを求めていたのだろうか。もし、そんなことを求めていたのではないというなら、いったい何を求めているのだろう。もっと休ませろ、ということだろうか。あるいは、みんなもっと休め、ということだろうか。みんなが早々と仕事を終えたり、夜中の支援をやめようと言ったとき、まさに支援を必要とする人の24時間の生活は誰がどう支えるのか。それだけの仕組みが、現在の制度体系の中で可能なのかどうか、自分の法人内で構築可能なのかどうか、きちんと考えたり努力した上での行動のようには自分にはどうしても思えないのである。労基署に電話する前に、お前はやるべきことを本当にやったのか、と。
労働基準法 - 泣きやむまで 泣くといい

lessorさんの気持ちはわかるつもりだが、やはり不同意。
福祉労働者は、「労働者である前に支援者」ではなく、「労働者であると同時に支援者」なのだと僕は思う。支援者としての善意や使命感につけこんで、という言い方は嫌らしいが、現在の制度体系の中では不可能な水準のサービスを求められて、告発者はギブアップしてしまったのではなかろうか。BUNTENさんがブックマークコメントで書いておられるように、事業予算規模が十分に確保されてはじめて他業種と人材の取り合いもできるわけで、スタッフが全力を尽くしてなお労働環境が違法状態というのであれば、そこに構築されている制度体系そのものに瑕疵があるのだろう。「医療崩壊」問題はだんだんと知られるようになってきたが、「介護崩壊」もこういう告発によってもっと可視化された方がいいんではあるまいか。そして、制度体系内部の歪みがリペアされても労働環境が改善されないのなら、介護制度への政府の現行のコミットメントに過誤がある、ということになろう。
以前にコムスン問題に関連して書いたエントリにリンクしておく。
コムスン雑感 - The best is yet to be.
続・コムスン雑感 - The best is yet to be.