数も力

光市母子殺害事件に関連して、容疑者弁護団の弁護士に対して大量の懲戒請求が起こった事は記憶に新しいところです。以前に何度か書いたように僕はこれらの懲戒請求に対してまったく賛成できませんが、4000件の懲戒請求が集まったという事実はそれなりに意味があると思うんですよね。その4000件の背後には、法曹三者における弁護士の役目を誤解している数万の人間が透けて見えるわけですから。いかに正しい(と信ずる)論理を主張しても、社会に共有されていないのでは意味がないでしょう。以上前置き。

寄せられたパブリックコメントの総数は約7500件。うち8割が、著作物の複製を「私的使用」として認める範囲を定めている著作権法30条の適用範囲についての意見で、違法サイトからのダウンロード違法化に対する反対意見も多かった。さらにそのうち7割が、「ネット上のひな形を利用して書かれたもので、ほぼ同じ内容」(文化庁の川瀬真・著作物流通推進室長)だったという。
私的録音録画小委員会:「ダウンロード違法化」に反対意見集まるが…… 埋まらぬ「権利者」vs.「ユーザー」の溝 (1/3) - ITmedia NEWS

以前にbewaadさんがパブコメは数じゃないって言ってたけど、それって法案を書く側の理屈じゃないかなと思う。法制度を設計するって言うのは、新しい法律を加える事で既存の法体系では網羅しきれない社会制度の歪みをカバーすることだと僕は考えていて、ならばパブコメは、同じ意見が多数集まるよりも少数でもいいからさまざまな視点からの意見が集まる方が有益だと思う。けれども、「これこれこういう仕組みになった方が社会全体の効用は増大するよね」というグランドデザインが先にあってはじめて具体的な制度設計作業に移れるわけだから、そのグランドデザインへの異議申し立てに意味がないとは言えないのではないでしょうか。
ある社会制度を理想として想定し、その理想に向かうように議論を重ねつつ具体的に諸法制を体系づけていく。理想が固まっているなら具体的議論は問題点を網羅していることが重要。でも制度設計の前段階である議論においては、どの要素を重く見るかはまだ価値判断の領域。重み付けという価値判断が成された後で、それを実現するための理路を辿るんだから、似たような意見が多数届くってことはその意見ないしは視点が市民の間では重みをもって捉えられているってことでしょう。パブコメは多数決ではないから数に直結させるべきではないのはもちろん承知。しかし賛否の表明ではなくて意見の表明なのだから、「内容は類似だからコメント数が1本でも10本でも一緒」とは自分には考えられません。だから、テンプレートを利用していたとしても、やはり6000件という数には意味がある、力を持っていると思います。