視線は我らを不自由にする

いや、実際にはそうであっても、職員が減ったことによる忙しさを理由にしているのが本音かもしれない。何時だったか、リアルな場面での話で、「ブログを続けていられるのは、余程暇なんですね。」みたいな言動を聞いたことがあるので。要は、それだけ余裕があるのなら、もっと人を減らしたって平気でしょ、みたいな。
http://dora-hikarilibrary.air-nifty.com/doralog/2008/01/post_bba4.html

かつて見聞した話。スタッフが共有できる場を用意して、それぞれ日常の出来事や職務で気付いたことを書きつけ、コミュニケーションを深めたり情報交換に役立てようという試みがあった。古くはノート、のちにはメーリングリストとかBBSとかブログとかSNSとか。始まった当初はみんないろいろと書いていくのだけど、そのうちに書く人がだんだん少なくなっていった。日常のことを書く人は「日記を書く暇があるんだから」と言われ、先進的な情報を集める人は「それだけ仕事熱心なんだから」という理由で、ともに別の仕事を押し付ける口実になってしまったから。
そりゃあ仕事なんだから任されたらやるしかないけれど、従来の仕事を誰かが代わりにやってくれるわけじゃない。負担ばかり増えるのはごめんだから、「楽をしている」とは思われないように、他人が覗ける場にはネガティブな文章が増えていった。「コミュニケーションを深めたり情報交換に役立てよう」という当初の目的にこだわるなら、それを仕事の割り振りの根拠にすべきじゃなかったね。