問題解決は十字砲火で

さすがはhamachanと言うべきであろう。強く同意します。

そういう風にしてきた責任の一端は、読売新聞も含めたマスコミにあることを認識していただきたいとも思いますが。医療問題を専ら健康保険財政問題と消費者サービス問題に極小化し、医師たちの労働実態という目の前にある問題から目を背け続けてきたのは、(もちろん国民の意識がそうだったからそれに沿っただけだと言えばそうでしょうが)記者たちの頭の中に、そういう問題意識に反応する回路ができていなかったからであることは確かなんですから。
教育問題にしろ、道路問題にしろ、(ついでに、北畑発言問題にしろ)世の中の問題の多くは実のところ労働問題なんですが、そこをすっぽりと頭からぬけ落としたままで薄っぺらなきれいごとっぽい議論ばっかりするもんだから、ますます解決策が問題の本質から遠ざかっていく一方になるという悪循環が現代の日本を覆っているように見えます。
世の中の問題の多くは労働問題なんだよ: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

僕の意見は以前にも書いている。

これこれのサービスが欲しいが必要な経費はいくらかということを議論するのに、スタッフを酷使することを前提とするのはどう考えたっておかしい。健康的に働ける労働量の上限というのは確かにあるのであって、それを超えて無原則に働かせていては、真っ当なコスト意識なんか育つはずもない。財布と相談することを覚えないまま、要求だけはいっちょまえの子供と言われてもしょうがないだろう。
ゆとり教育よりゆとり労働 - The best is yet to be.

もうちょっと追加で。世の中でふつうに働いて暮らしている多くの人々は、サービスの享受者であり同時に提供者である。それが単にサービスの遣り取りという問題に収まらないのは、サービスを生み出すためのリソースが、生活のサイクルが順当に廻ることで産出されるからである。我々は労働者であり生活者である。現実の生はつねに複数の属性を帯びている。ゆえに、世の中で起こっている多くの問題が、労働問題の射程にも入ってくることになるのだ。よくコストとベネフィットを考えてという物言いを耳にするが、それは消費者が享受するベネフィットと消費者が支払うコストだけを比較するものではない。上にリンクした医療崩壊など、消費者が享受するベネフィットのためにサービス提供者が思い切りリソースを食われた例だろう。「消費者はコストを支払ったのだからあとはサービス提供者内部で解決すべき」とはシンプルな正論だが、実際にパンクしつつある現場にはその正論が機能していない、というか対処しきれていないのが実情。複数の処方箋を組み合わせて対処するのが現実的な政策論というものだろうし、そこに労働問題という枠組みを持ち込むことは大いに有益だと思っている。