コインには「ありがとう」を添えて

タイトルで言いたいことが終わってしまった…。念のため書いておくと、自動販売機にコインを投入後、ありがとうの気持ちを込めてボタンを押すと缶コーヒーがうまくなる、という話ではない。
本石町日記にて、感情労働について書かれている。

日経新聞23日付の一面特集に「感情労働」という見慣れぬ用語があった。労働関係の方々には知られていた概念なのだろうが、私が目にしたのは初めて。勉強になりました。労働環境は厳しくなっているが、「肉体労働」、「頭脳労働」、「感情労働」のうち、もっとも負担が大きいのは、最後の労働であろう。精神的負担が大きく、ストレスが増大しますから。
記事にもあったように、「お客様は誰でも神様」という風潮が強い場合、Emotional Labour Costはほとんどゼロに張り付く。記事では「スマイルはゼロ円」から脱却すべく、笑顔に対価を与える試みも紹介されていたが、これが可能なのは非常に限られた職種・職場であろう。大半においては、サービス向上の号令下、笑顔は無駄に投入され、精神的な疲弊を招く。
「お客様は神様」は一般論として正しいがゆえにたちが悪い。反論が難しいのですね。サービス業において、スペシャルなお客様(お金をたくさん払う人)にスペシャルなおもてなし(とびきりの笑顔)を行うのは当然だが、不特定多数へのサービスは普通の笑顔で十分であろう。必要以上の笑顔・礼儀で他社との差別化を図る経営者は私は個人的には感心しない。銀行員にお辞儀の仕方を特訓するのは、ちょっと違うと思う。お辞儀の角度で銀行を選んだりしない(少なくとも私は)。
サービスの対価(特におもてなし)については、巡回先のブログでいくつか取り上げられ、何か書こうと思っていたが、今回の日経記事はよいきっかけでありました。「感情労働」。日本の労働者は特にこの労働負担が非常に重い気がする。単位労働コストは下がっているが、単位感情労働コストは激しく落下中ではないだろうか。貧乏暇なし&ストレス増大ですね。
単位(感情)労働コストは急落?=貧乏暇なし&ストレス増大 : 本石町日記

サービスのフロントラインに立っていると、自分の感情が擦り減っていくような気分を味わうことはしばしばある。別に聞き取りしたわけじゃないけど、自分の身の回りの各種サービスの場もたぶん似たようなものかな。昼の弁当を買い出しに行くコンビニとか、夕食の材料を仕入れるスーパーとかね。
セレブリティあふれるサービスを受けているならともかく、そういう身近な消費の場では、従業員の賃金に感情労働ぶんのコストは反映されてはいないのではないかな、と個人的に思っている。ゆえに、支払いの際にはありがとうの言葉を添えるようにしている。チップをあげる気はないし、商品の対価は金銭で決済した。けれど、感情労働とは最近クローズアップされた事柄で、そのコストが価格に転嫁されているとは思わない。だからせめて感情で報酬を支払おう、という意味で。
「ありがとう」と口先を動かすくらい、コストとしては大したもんじゃない。けれど、その何でもないような言葉でサービススタッフが慰藉されることがありうる、ということも実体験で理解している。殺伐としているよりはのほほんとした世の中の方がまだしも生きやすい。柔らかさが世の中に浸潤していって欲しいなと思いつつ、今日も財布を紐解いた。