Amazonのウィッシュリストの件

流出だ流出だと騒ぐ声を(たぶん2chまとめサイトあたりで)いくつか見たのだけれど、流出とは「秘匿されることが前提の情報が第三者にも知られてしまうこと」をそのように呼ぶのであって、Amazon側が「ウィッシュリストは公開されることが前提の機能」と考えていた場合、つまり第三者が知ることを想定の範囲内において実装した機能ということであれば、流出とは言えないだろう。この場合、問うべきは「ウィッシュリストが公開されることを利用者に対して十分に周知していなかった点」であり、さらには「そもそも、ほしい物リストは、アメリカの文化で、友人や家族にプレゼントして欲しいものをあらかじめリスト化する習慣に合わせてできた機能。公開して使うことが前提になっている」(asahi.com:アマゾン「ほしい物リスト」、他人に丸見え 本名も表示 - 社会)などという日本にない文化慣行をそのまま持ってきたAmazonの無思慮さを批判するのが筋であろう。
なお、高木浩光さんは「私が思い描く理想的なネットショップ像としては、1年くらいで古い購入履歴が自動的に消えていくようになっていて欲しいものだ。」(高木浩光@自宅の日記 - Amazonはやっぱり怖い そろそろ使うのをやめようと思う, Amazonは注文履歴の消去を拒否、アカウント閉鎖後もデータは残る, Amazon..)とおっしゃっているが、商取引の記録は確か5年とか7年とか長期の保存義務があるので、1年で消去されるように求めるのは難しいのではないか。(参考:法定保存文書│保存根拠法令│総務辞典)例えば商取引の記録と同様にプライバシーに関わる書類として医師が書くカルテがあるけど、このカルテも5年間の保存義務がある。
ついでにbiblioblogger界隈でひところ話題になった図書館の貸出履歴の利用の件についても触れておくと、以前にも述べた(履歴・保全・リコメンド - The best is yet to be.)とおり「利用履歴が第三者に知られること」が問題になるのであって、履歴をパブリックにする機能を最初から設けなければいい話であるし、少なくとも今回の騒動におののいて「やっぱり貸出履歴の活用なんてろくなもんじゃねえな」と萎縮するようなことは避けるべきと考える。さらについでのついでとして言うと、映画『耳をすませば』で天沢聖司が月島雫に先んじて図書を借りまくっていたのは、利用履歴が他人にもわかってしまう「ニューアーク式」の特徴を利用しての行動だったが、今回のAmazonの騒動はみんながブラウン式と思っていたのになぜか実際はニューアーク式だった、というような構図として理解している。だから購入履歴を重要なプライバシー情報と考えない人にとっては、なぜこのように大勢の人間が吹きあがっているのか皮膚感覚では分からないのであろう。