アーカイブこそ図書館の使命

COMIC1の見本誌が明治大学の新図書館に寄贈される件について、永字八法にてみたびエントリが起こされている。
気に入らない遺され方を拒否する著作権者がいるとは失念していた。 - 永字八法
遺したくない著作権者と未来永劫残したい図書館 - 永字八法
殺されてでも遺したい - 永字八法
(なお見本誌寄贈の件についてはCOMIC1代表によるブログも参照のこと:COMIC1準備会日記: 見本誌
手短に書く。自分の感覚では、図書館等によるアーカイブはそもそも発行人の意志を斟酌する必要はない。気心の知れた仲間に著者が直接コンテンツを受け渡すような牧歌的な間柄ならばともかく、同人誌といえど不特定多数に頒布しているような代物を発行人がコントロールできると考える方がおかしいのではないか。"publish"と"public"が語源を同じくしていることを思えば、あらゆる出版物は出版された時点で保存されることを是認していると解釈するべきである。
自分も漫画ではないが、学生時代に同人誌を何冊か製作し、イベント等で販売した経験がある。それらは後に、学生サークル等の先輩から後輩へとコピーが連綿と受け継がれていると聞いたが、自分の手がけたコンテンツが面識のない相手に渡ることは甘受すべきと自分は考えるので、その点について文句はない。もしもコンテンツを保存されたくないのであれば、「著者は保存されたくないと考えている」ということを受け渡しの際にきちんと因果を含めうる相手にのみ、頒布するべきである。規模の大小によらず、公刊する以上はクローズドにはできないだろう。
自分が歴史学徒出身であるから拘っているのかもしれないが、コンテンツの価値というのは十年や二十年程度で定まるものではない。百年、千年の単位で揺れ動くものである。メディアそのものを保存するかどうかは別にしても、コンテンツはとにかく保存されるべきである。アーカイブしたいという図書館の欲望は、アーカイブされたくないという著者の欲望に優越するべきである。図書館とはそういう社会的使命を背負って設置され、そのように活動することを期待されており、その使命を果たすことが我々の文化と文明の発展に貢献するのだと自分は信じている。
ただし、保存についてはともかくとしても、閲覧・複写・貸出については、発行人がコントロールする余地は多少残されていてもよいと考える。というのは、これは紙の出版物というトピックに限らないのだが、この十数年でコンテンツを製作したり情報を発信したりするハードルは低くなる一方であり、自身の行為がイコール「世に問う」ことであると理解しないままに創り手にまわるケースは今後とも増えるであろう。ニコニコでは中学生がアイマスMAD作ったりしているわけで、もちろんそれはコンテンツとして成立しているのだが、発表者しだいでプライベートな情報を含んだコンテンツが頒布されてしまう可能性はある。*1そこにおいて、アーカイブの欲望とブラウジングの欲望が必ずしも一致するわけではないということは、顧みられてよいであろう。

*1:高橋治『名もなき道を』や柳美里石に泳ぐ魚』等の事例を念頭においている