作品はムーブメントの起点

作者不在って考えは面白い。ニコニコみたいに模倣、再生産、再解釈でなりたってるクリエイティブ文化だと、オリジナル作品ってのは一個で完結するものではなく、ムーブメントの基点であり、表現模索の方向性の定義にしか過ぎないのかな。そうなると質どころか、問われるのは情報遺伝子の拡散性ということなんだろうか。このような文化では作品は特定の誰かが作るものではなく、勝手に生えてくるものって認識が強いのかもしれない。だとしたらこの文化の洗礼をうけた世代は、未曾有のアンチ・コピーライト世代になりそうな予感。
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これを敷衍すると、ニコニコにおいてコンテンツの良し悪しを判断する時、その基準は「作品単体の完成度」とは別の要素が重視されるのかもしれない。すなわち、より多く引用され、参照され、ムーブメントを形成する作品こそが、リスペクトの対象になるということだ。*1
もちろん完成度が高いコンテンツほどより多く鑑賞されるわけだから、ブームの発端になる可能性は単純に高くなる。けれども、作品単体の完成度が低くとも、視聴者の感性に引っかかる部分、いわゆるフックが設けられていれば、その作品を起点としてムーブメントが起こり、「○○の原点」のようなタグとともに末永く振り返られるようになるのだろう。
現実のアートにおいてもスタイルとか潮流というものがあり、原点を芸術史的に探求したり作品の関連性を考察したりすることはありふれた知的営為であるわけだが、作品単体ではなく作者や視聴者が相互にコミュニケートする部分も含めてコンテンツが完成するニコニコ文化の中では、各コンテンツの関連性はそのクラスタ内部においては容易に強まっていくという島宇宙化の傾向を示すことになる。するってえと、「ニコニコ動画は全貌を把握しにくい」という問題が生まれるのは当然の成り行きだったわけか。

*1:ここで"Niconico Impact Factor"というような指標を思い浮かべる人もいるだろうが、ひとまず措いておく。