生活を「どのように」保護するのか

昨日のエントリで触れたメイク・ワーク・ペイの話題に関連して、平家さんが新しいエントリをアップしていた。非常に単純化されていてわかりやすい話なので、リンク先を読んでもらいたい。
「「オベリスクとエッフェル塔」について」について 労働、社会問題/ウェブリブログ
平家さんは一つのテーマに関していくつかのエントリに分割して議論を展開することがあるので、今回もそうなのかもしれないが。僕は一読して単純に疑問を持った。
まっとうに働いて22万円の収入を得ている人が、15万円の収入を得るほかに10万円の生活保護まで給付されるという制度を、はたして許容できるものだろうか。ちょっと難しくないか?22万という金額設定が妙にリアルなので、つい自分のこととして考えてしまうのだが。
生活保護を給付されるには、当然その人なりの事情があろう。老親を介護しているのか。配偶者を失って育児が大変なのか。障害なり持病のために健常者ほど働くことが出来ないのか。それぞれの理由や困窮の度合いによって、生活を支援する。そのこと自体は大いに賛成だ。じゃあ、その支援というのは「お金を与える方向」によってなされるのがベストなんだろうか?
エッフェル塔のたとえは、さまざまな政策や制度の組み合わせによって生活困窮者を支援することだと僕は理解した。それに従えば、介護センターや保育園の利用料を無料にしたり、高速道路の通行料を割引したり、生活必需品にかかる消費税を還付するというような、「負担を減らす」方向で支援制度を設計し直したほうが、一般市民の反発は小さくなるんじゃないのかな。ま、話が途中かもしれないし、もう少し静かに見ていよう。