教育基本法第5条制定に関する議論

第五条 (男女共学)  男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO025.html

教育基本法第5条については上記のとおり。なお、下記に引用する議論は、昭和22年3月14日、第92回帝国議会衆議院教育基本法案委員会でおこなわれたもの。直前のエントリと一緒です。

○永井委員 六・三制に對する豫算の支出でありますが、これはいきなり六・三制全部を義務制にするのではなくして、その一年次からやつていくのでありますから、その豫算の支出は學年の完成をまつて増嵩していくので、第一年次はその一年次の豫算だけを支出すればよいように考えるのであります。でありますから、たとえば滿十六歳まで一年義務制を延長いたしたにしても、その完成期の將來をまつて支出するのでありますから、そのころまでには日本の財政も漸次立直つてまいるでありましようし、また立直らないにしましても、わが國が文化國家として立つていくには、教育をおいてはないのでありますから、その基盤となるべき教育に、國が豫算の大部分を支出しても、教育の完成を期していくという方向に努力すべきであると思いますが、これはその程度にいたしておきまして、次は第五條、男女共學でありますが、ここに男女共學と特に取上げて、こういうようなことを書くということは、これは少し變ではないか。憲法にも性別はないのだということを既に規定しており、さらに第三條においては教育の機會均等ということがうたわれておるのであります。男女共學ということは、從來の關係から言えば、教育の機會均等の中にはいるべきものであつて、ここに特に取上げて男女共學という一條を設ける必要はない。ここに男女共學という一條を認めて特に書いたという根本の思想の中には、男女の差別感に立つた一つの男女共學、こういうような思想が根本にあるのではないか、こう思うのであります。從つてここにおけるところの男女共學というものは、男女を共學にしなければならぬということに對する道徳的な理由を書こうとするので、基本的人權の確立という、そうした本質的なものに立つての男女共學ではない。道徳的な理由によつてここに男女共學を強調しよう、こういう思想の分裂がここにあるのではないかとわれわれは見るのでありますが、これに對して、特にここに男女共學を強調した一條を取上げた理由と、その根底における思想的な流れというものに對しての御見解を承りたいと思います。

○辻田政府委員 お話の通り憲法第十四條の精神をここへもつてまいります場合に、基本法第三條の教育の機會均等に一應包含されるわけでありますが、從來、男女別學といいますか、分學と申しますか、男女共學というようなことについて、あまり考えられておらなかつたし、また非常に男女の間に差別的な取扱いが行われておりましたので、この際特にこの男女の平等という、差別をしないという立場からいつても、また一方には今後一層民主的な平和的な國家を建設していきます場合に、特に男女が互いに協調し協力し合わなければならぬ。これを教育に生かす場合に、共學というような方法で行われるのが最も適當であるというふうに考えられまして、ここに非常に大切なことだと認めまして、これを特筆したわけであります。

永井委員の発言の前半は、6・3制に関する議論なので割愛。後半からの、男女共学をあえて書く必要はあるのか云々の議論は、一ヶ月くらい前に見たような気がしますね。具体的には都城市あたりで。大切だから特筆するという感覚は、やはり普遍的なように思えるなあ。