代理母出産についてもう一度

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20061015i101.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20061015ik09.htm
以前のエントリでも書いたのだけれど、すでに生まれた子供に対する福祉としては、特別養子縁組を行うことで法的には解決するはずだし、それが妥当であると思う。つまり、出生届には実際に出産した代理母の名を書き、その上で遺伝子上の親と特別養子縁組を行うべきだ。(養子縁組と特別養子縁組の違いについてはこちらを参照)
現在のところ代理母出産については法律による取り決めはなされておらず、一方で昭和37年4月27日の最高裁判決によって、「母子関係は分娩の事実によって発生する」ものと捉えられている。もちろんこの判例は現在までの医療技術の発展を踏まえたものではないけれども、法的に妥当であるかどうかがわからない以上、行政当局としては司法の判断を仰ぐしかない。先日の高田延彦向井亜紀夫妻のケースならば、法務省が品川区に抗告を命じたのは至極当然といえる。というか抗告しなかったら怠慢の謗りを免れない。上記リンク先の祖母が孫を代理出産したケースでは法的には妥当な処置をしているので、その点は問題ないだろうが。
なお、代理母一般の問題点としては、女性を道具とみなしているのではという批判がしばしばなされる。つまり、出産というのは母性に伴う機能であるわけだが、それら機能を何らかの契約のもとに他人の支配下に置くということは、出産を労働に近いものとみなしているようで、僕にはどうしても抵抗を感じる。母性って人格の一部じゃないのか、と。
上記ニュースの例にしても向井さんの例にしても、個々の事例を取ってみれば、代理母精子卵子を提供した夫婦との間には人間的な美しい関係があったものと思われる。しかし個別の事例にのっとって制度を構築するわけには行かないのもまた当然の話で、「産めないけれども子供は欲しい」という願いに対しては、医療技術によって実現可能であったとしても、そこで倫理的にいったん躊躇すべきではないのかという思いを抱いてしまうのだ。
本音を言ってしまえば、代理母の腹を借りるなんて形を変えた側室制度みたいに感じられて、そこがたぶん僕の引っかかるところではあるのだけれど。