カリキュラム擬装の原因と責任

もっとも繰り返しになるが、大切な受験期を前に不安や怒りを覚える受験生や父兄の気持ちはよく分かる。しかしその不安や怒りをぶつけるべきは学校ではない。ゆとり教育だなんだといって、大切な授業時間を強制的に減らし、生徒たちを翻弄してきた文部科学省(旧文部省)にその気持ちをぶつけるべきである。「ルール違反」をした学校側をスケープゴートにして頬っかむりしている文部科学省の役人たちに、みんなで林檎を投げつけよう。
http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/817

どうも納得いかないので異論を述べておく。今回発覚したカリキュラム擬装について文部科学省が責められるとしたら、それは制度の構築に当たってコンプライアンスを含めて設計していなかったという点だけだ。学習指導要領には何が必修であるかがきちんと定められており、また指導要領は法的拘束力を持つとされている。文科省は学校側がきちんとルールを守るであろうとの考えに基づいて教育行政を執行してきており、末端がルール違反に加担するとは(少なくとも制度設計上は)考えていなかった。ルールを遵守させるための仕組みを盛り込まなかった点においてのみ文科省の責任があるのであり、授業時間を減らしたり指導要領の中身を改訂したりしたのは国民の要請に応えてのことである。
本来、最も責任が重いのは学校側だろう。どのような事情があろうと必修科目をきちんと履修させることが学校の務めだ。学校側は消費者(生徒+保護者)の要請に従っただけと言いたいだろうが、そこは突っぱねて、「受験勉強のムダになる」科目も教えるべきだったと思う。
責任の重さでは、第一に学校、第二に消費者だと思うが、原因としては消費者が学校側に進学実績という結果を求めるがゆえに学校側も受験勉強に傾斜したカリキュラムを組まざるを得なくなったのであり、発端としては消費者側に問題があったと感じる。多くの方が述べているように、受験産業に乏しい地方にあっては県立校に予備校的役割が求められており、また私立校でも、伝統的進学校でない新進の進学校は生き残りのために進学実績を向上させねばならないから、受験指導に偏って運営されるのはある意味当然である。これが進学校でなく、例えばお嬢様養成学校みたいな位置づけなら、箸使いがきちんとした学生ばかり募集するなどして、進学以外の特色を武器に生き残りを図ることもできるのだが。
文部科学省的には、とにかく法令はきちんと守ってもらわなくてはいけないし、公平を保つためには安易に救済の前例を作るわけにもいかないので、対応に苦慮していることと思う。むしろ我々消費者のほうこそ、ルールに違反してまで学校に進学実績のプレッシャーをかけていた現状に思いをいたすべきなのではないだろうか。
ところで・・・

私立茨城高校(水戸市)で、3年生の175人が世界史Bの履修不足に当たることが28日、茨城県の指摘で分かった。同校は中高一貫校のため、既に世界史Bを中学3年の時に履修しているが、県からは「高校の取得単位としては認めない」とされたという。同校によると、家庭科なども履修不足に当たる恐れがあるという。同校関係者は「これから補習をしなければ」と困惑している。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061029k0000m040070000c.html

こんなケースまでアウトということになると、大半の中高一貫校が中学3年までに数Ⅰ・Aを終わらせている現状、カリキュラム擬装に引っかかる学校の数は飛躍的に跳ね上がると思う。問題の落としどころが難しくなる一方ですが、教育改革のチャンスでもある、のかな。
ジョースター卿曰く、「逆に考えるんだ(AA略)」。