みんな擬装は知っていたはず

直前のエントリでは図らずも文部科学省を擁護するような論陣を張ってしまいましたが、もちろん僕は文科省に責任がなかったとは全く思っていないし、古くからこの問題を知っていたであろう文科省は、指導要領が遵守されるように制度をデザインし直すべきであったと思います。

兵庫県立高校の三分の一以上で発覚した必修科目の未履修。十二日、兵庫県教委が発表した調査結果によると、「受験対策」として、学習指導要領に従わないカリキュラム編成が慣例化していた。学校からは「生徒のためと思って続けていた」という声も漏れるが、県教委の指導で、生徒は卒業後に再び授業を受けなければならないなど、思わぬ余波を受けている。今後、指導要領と教育現場のズレなど、議論が広がりそうだ。
この問題が最初に分かった氷上郡柏原町の県立柏原高校では、必修科目を受けていなかった理数系の七十八人に、計三回の補充授業を計画。最終回は、二月末の卒業式までに日程が組めず、今月十九日に予定している。
学校がビデオとプリントを用意。百分授業三回で一年分を教える“超詰め込み授業”だ。入試シーズンと重なり、出席できない生徒もいるが、同校は「受験を優先せざるを得ない」と漏らす。
神戸市内のある高校でも、一九九四年度の入学生から未履修が続いており、一月下旬に県教委から指導があった。今月下旬、四日間で、一人八時間の補充授業を行う。教頭は「申し訳ないと思うが、近隣の学校は同じようなことをしているところも多く、安心してしまっていた。受験成績で学校の魅力を評価される風潮にも問題があるのでは」と問題提起する。
阪神間の高校では、二月に一回、三月中にも一回の補充授業を行う。教諭からは「生徒のためと思って(未履修を)黙認していたが、反省している」という声も。
必修科目の未履修は、このほか、明石、姫路、豊岡など県内全域の高校に広がっており、二月から三月にかけ、各校は補充授業に大わらわだ。
兵庫教育大学の竺沙知章助教授(教育行政学)は「一般論で言えば、必修科目の授業を受けさせないのは望ましくない。しかし今、時代の流れは、現場である学校の裁量を広げる方向に進んでいる」とし、「教育課程の基準を見直すいい機会かもしれない」という。
今春から、受験に必要のない世界史の授業を受けることになる北播磨地域の県立高校生(17)は「世界史も一般教養として必要かもしれないが、受験には重荷になる。やっぱり受験に合わせてほしい」と、本音を漏らした。
加古川市内の高校を卒業したばかりの生徒(18)は、二月中旬に理系の三クラスが体育館に集められ、一時間ほど世界史の授業を受けたという。教諭に教科書のコピーを渡され、小テストもあったといい、「間に合わせの授業をするくらいなら、もっと早く、きちんと教えてほしかった」と話している。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/020313ke47470.html

一見すると最近喧しいカリキュラム擬装のニュースの一つのように思いがちですが、上に挙げたのは5年前の新聞記事です。こっそりやっていたならともかく、新聞で報道までされているのに、本省や各地の教育委員会が知らないはずもなし。学校・消費者も含めて、みんなで見逃していただけのことでしょう。しかもその後も兵庫では必修科目逃れが続いていたようで、名門私立の灘高校でも履修漏れがあったことが明らかになりました。ことの重大さを改めて認識しておかなくてはと思います。
(追記)
重大とは言ったものの、履修を逃れたまま高校を出た人もそれぞれに日々の勉強や仕事をやっているわけで、差し当たって不都合があるわけではない。世界史の授業があろうがなかろうが、その人の人生に大きな変化があるわけではなく、そういう意味では重大ではない。ルール違反を黙過し、その果てに校長が自殺したり、多くの高校生に不安を与えたり、大学その他にも影響を及ぼしたという事態の推移と波及をみて、ことの重みを感じたということである。