ホワイトカラー・エグゼンプションは労働時間規制とは関係なかったはず

ホワイトカラー・エグゼンプションについて昨年後半からウェブ上でも多くの論議が交わされるようになってきたが、中にはこの制度を労働時間を無制限に拡大するための制度であるように思い込んでいる人もいるようだ。そこについて少し意見を。
エグゼンプションという言葉が「除外」とか「免除」を意味するので、この制度はホワイトカラーが労働時間の週40時間という枠を取り外していくらでも働かされる制度であると思っているのだろうが、タイトルに書いたとおり、この制度はもともと労働時間とは関係ないものだ。なぜそう言えるかというと、ホワ・エグはアメリカ由来の制度だからだ。アメリカには日本のような労働時間規制は存在しない。
アメリカで定められているのは、週40時間以上働いたらそのオーバーした分について50%増しの賃金を払えという取り決めだけだ。100時間働いたなら60時間分について50%増しで賃金を払えばそれでいい。日本のように、1日8時間週40時間までしか働かせてはいけない(労基法32条)とか、時間外労働については労使間で協定が必要(労基法36条)というような規定もない。
ではアメリカのホワ・エグはどういう制度かというと、40時間をオーバーした分に対して50%増しの賃金を払うべしという義務付けを、一定のホワイトカラー労働者に対してはその対象から除外しているのだ。つまりエグゼンプトとは割増賃金の適用範囲から除外するということである。日本では労基法37条に割増賃金が規定されているから、ここから除外されるようなものだろうか。ちなみにイギリスにはちゃんと週48時間という労働時間の枠があり、その上限を超える際にはオプトアウトという除外規定のしくみがある。日本で言うと前述の労基法36条、いわゆる36協定ですな。
サービス残業と絡めてホワ・エグを論じることについて僕があまりうまくないなと思うのは、では残業代さえ払われればそれで良いのかという論点が抜け落ちているからだ。労働時間を規制する必要があるのは、割増賃金を減らすためではなく、労働者の健康を確保するためだ。過重労働で健康を損なったり過労死したりすることのないように労働時間を規制するのであり、例えば裁量労働制で働いていた雑誌編集者の過労死について争った「光文社事件」などを見ても、どのような法制度下にあっても労働者の健康確保という方向は労働政策において揺らがないだろうし、揺らがせるべきでない。僕はその辺では司法サイドを信頼しているので、もしホワ・エグ導入後に健康被害や過労死が発生すれば、当然ながら使用者は賠償金*1を払わなければならないだろう。実際のところ、使用者側も労働者への安全配慮義務について真剣に考えなければならないはずで、どのような法制度を設計しようとも勤務時間というか拘束時間を管理する仕組みは残ると思う。
労働者が少しでも多く給料を貰いたいと思うように、使用者も少しでも労務コストを減らしたいの思うのは自然なことだし、それが絶対に悪いとは僕は考えていない。使用者側が求めているのは、労働時間と給料がリンクしている現在の制度に手を加え、一定以上の給料を貰っている労働者についてはその労働による成果に対して給料を払いたいということだ。知っている人は知っている「モルガン・スタンレー・ジャパン事件」というのがあって、これは年間基本給2200万+業績給5000万の労働者が超過勤務手当を請求し却下された事件*2だが、僕からすると率直に当然だろと思った。月給だと183万、残業1時間あたり1万5千円くらいだろうか。さすがにこれでは経営者もたまるまい。
労働者からすると、同じだけ成果を挙げて会社に貢献したのに残業した方が賃金が高いのは不公平じゃないかという不満ももっともな話で、安月給ならともかく、基本給も取り扱う案件の規模も高額になるにつれて納得できないケースが増えるのは当然だと思う。そこを自律的な働き方云々という言い回しで回避しようとするから、日本の企業風土に自律的な働き方なんかどれくらいあるんだよとか、すでに残業代の範囲外の部課長クラスだって労働時間の自律性なんかないよという反論も出てくるのである。
以前に出た年収400万以上でエグゼンプトという案には大きな反発があったが、月収100万オーバーの高給取りにまで「自律的労働者じゃないから残業代払え」というのは、逆方向に反発が出るように僕は思う。労働者の報酬について成果物に対して払うか労働時間に対して払うかは、その成果の質や量を勘案して定まるのであって、現実に賃金制度が成果主義の考え方を取り込みながら運用されている以上、アッパークラスの労働者までも他と同様に残業代を算出するというのは、建前としてもさすがに歪になってきた気がする。「過労死も自己責任」などとのたまう経営者はさすがにアホだが、ホワ・エグ導入でサラリーマン死屍累々会社丸儲け経営者ワッハッハみたいな世界を勝手に想像して憤るのも同様にアホな話じゃないのか。
重要なのは、労働者の健康確保にはこれこれの制度を設けこのように運用する、賃金はこれこれこのように支払う、ということを議論することであって、こちらの労働者は自律的であるがあちらの労働者は自律的でないという議論の仕方は非現実的だ。まともに日本の組織で働いていたら、自律性が確保されているケースが希少であることは誰でもわかっている。課長が今月は何時間だよって言ったらそれがその月の時間外になる職場は一杯あるだろう。
えらく長くなってしまったが、もともとホワ・エグは賃金をどうするかという規定でしかなかったんだし、労働者の健康確保は別建てでやる、これは高給取りに追い銭やらないための制度なんだって推進派が本音ぶっちゃけておけば、もっとまともに議論できたように思うんだがなあ。労働者側も議論が空回りのまま押し切られるよりは、この機に乗じて恒常的サービス残業の実態を改善するために取引を試みたほうが得な気がするんですがね。言葉が通じる相手だったら首に鈴つけるのも楽でしょう。

*1:過労死なら億単位

*2:平成17年10月19日東京地裁判決。取り扱ったのはこちらも知っている人は知っている難波孝一判事