過労死は自己責任にはならない

急性循環不全で00年8月に死亡したかばん卸売会社(大阪市)の専務取締役(男性、当時60歳)の遺族3人が、過酷な業務が原因だったとして同社に約7200万円の損害賠償を求めた訴訟で、大阪高裁は18日、請求を棄却した1審・大阪地裁判決を変更し、約1200万円の支払いを命じた。渡辺安一裁判長は「実態は営業社員」と判断した。原告側弁護士によると、役員の過労死訴訟で会社の責任が認められたのは全国初。
判決によると、社員が数人しかいないため、男性は76年の取締役就任後も商品の出荷作業のほか、月1回は自ら車を長距離運転して約30軒の得意先を回っており、出張先の富山市で急死した。判決は「取締役は名目で、実態は営業社員としての雇用契約」と結論付けた。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070119dde041040063000c.html

サラッと書いてありますけど、重要な判例だと思います。名目上と言えど専務ですからね。専務取締役。管理職どころじゃない、経営幹部ですよ。そういう役職にある人間であっても、過労死したら企業は責任を問われるということです。今回のケースは「実態は営業社員」と述べていますけど、それでも並の管理職とは同一視できないでしょう。
先日のエントリで裁量労働制で働いていた編集者の過労死の事例に触れましたけど、あれも結局会社側の責任を重く見て、数千万円の和解金を払うことで決着しましたよね。そういうものなのです。会社は労働者の健康確保という義務からは逃れられない。これは日本の労働政策が積み重ねてきた、労働者保護の方向に沿った判決であると思います。
以前のエントリでも述べたように、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入しようとも会社は社員の健康を保護する義務は残るわけで、だからこそ経営者の方も、どうやって社員の労働時間を管理・監督するか、どのくらいの休暇や休養を取らせるのかを考えなければならないわけでしょう。必要なのはそういった点を議論することであったはずだし、労働政策審議会でもそういう議論は行われていた*1。にもかかわらず、「残業代ゼロ法案」というネーミングで論点を賃金問題にずらし、健康確保の議論をすっ飛ばしてしまった大手メディアには本当にうんざりします。お金は大事だけど、それでも命とか健康の次だろ。比喩でなくリテラルな意味で命を削って金を稼がなきゃいけない人は、経済活動じゃなくて福祉によって救われるべきなのだから。

*1:幾つかピックアップして読んだ限り