k2lowさんへのお返事と、統治行為の中立性について

遅くなりましたが、当方のエントリにk2lowさんからトラックバック頂いているので、少しばかり書いてみます。
柳沢大臣の「健全」発言について - The best is yet to be.(当方)
「『お前は健全でない』と言われた」と思った人の思考の流れの続き。 - Let’s make tomorrow a better day.(k2lowさん)
「政治家は鳥瞰的に思考する生き物」と僕は思っているので、「○○という健全な状況」という言葉を聴いても、「ああ、状況について評価しているのだな」としか思いません。ですから、僕には子供はいないし、僕の両親も子供は僕だけですけれども、それらの家庭が不健全なものと評されたかのように感じもしませんでした。「健全」という言葉は誤解を生む可能性がある言葉という意見は首肯できますが、だからといって「クリリンのことかーッ!!」とばかりにこぞってキレている様子はやはりおかしいのではないでしょうか。まして、今回の騒動においては同じ会見の中で、

  • 婚姻の状況は雇用の安定と関係がある
  • 子供を持つ世帯の家計への経済的支援が必要
  • 若者の希望にフィットした政策を出していくことが大事

などと述べているのですから、やはりマクロ的な視点で語っていると見るのが妥当であると思います。参考までに、僕と同様に解釈したと思われる方々のエントリを貼っておきます。

これは普通に読めば、たとえば厚生労働省の意識調査などで、子どもが二人以上持ちたいと思っている人が多い、という意味だろうと思います。無理に違う読み方をすればできるかもしれませんが、自然に読めばそういうことではないでしょうか。
で、やはり普通に読めば、「多くの若い人は子どもを二人以上持ちたいと思っている」という「状況」が「健全」だ、という意味の発言ではないでしょうか。もちろん、なにをもって「健全」とするかは人によって異なるでしょうし、その人の価値観を反映するでしょうから、これを「古い道徳観」と言って批判することはできると思います。価値観をまじえず「多数派」というべきだ、という考え方もあるでしょう。まあ、「家庭を営み、また子どもを育てるということには、人生の喜びというか、そういうようなものがあるんだ」というところに反応するのはわからないではありません。ただ、いっぽうでとりあえず二人以上というのはおおむね人口置換水準と同程度か若干上回る水準なわけで、それを「健全」と考えるのは十分にあり得る考え方ではないかと思います。少なくとも、少子化対策を論じる上においては、いたって常識的な発想ではないかと思います。もちろん、それが常識的だというのがダメなのだ、という見方もあるでしょうが…。
さらに、厚労相いわく「希望というものに我々がフィットした政策を出していく」ということですから、これは基本的に子どもを持ちたいという希望にフィットした政策を出す、ということで、希望しない人は不健全だ、という趣旨には読めないように思うのですが。もっとも、「日本の若者の健全な、なんというか、希望というもの」という言い回しは、「二人以上持ちたいというのが健全な希望」と読めないこともありませんが、これも日本全体の若者の傾向を指していると読むのが普通ではないかとも思います。
2007-02-07

そこで柳沢厚生労働大臣の答えの「健全な」という部分に注目してみましょう。この判断の根拠は、「ご当人の若い人たちというのは、結婚をしたい、それから、子供を二人以上持ちたい」と考えていることです。では、「ご当人の若い人たち」がこう考えているという判断の根拠はなんでしょうか。
それはおそらく国立社会保障・人口問題研究所(http://www.ipss.go.jp/)の「結婚と出産に関する全国調査」の「独身者調査」と「夫婦調査」です。これによると18歳から34歳の女性の「いずれ結婚するつもり」とする割合は90%で、この女性の子供の希望数は2.10人です。夫婦の場合は2.48人です。
注意が必要なのは、この理想とするこどもの数が平均値だと言うことです。
ここから先は、柳沢厚生労働大臣が国会で、結婚するか、子供を持つか、何人子供を持つかは、完全に個人の意志に基づくものだ。決して結婚や子供を強制することが許される社会であってはならないという趣旨の答弁や、健全、不健全の定義を問われて、若い人たちの意識全体の状況が、プラスに評価できると受け止めたと言うことだという趣旨の答弁をしたらしいと言うことも踏まえての推測です。
柳沢厚生労働大臣は、若者の中に結婚するつもりはない人も、子供が欲しいとは思わない人も、一人しかいらないと思う人もいて、しかし、平均としては90%、2.10人であること、つまり若者全体を捉えて「健全」といったつもりではないでしょうか?二人以上の子供を欲しいと考える若者だけを「健全」といったのではなく。「ご当人の若い人たち」という表現もそう受け取る余地がありそうです。
句読点と引用符 例2 労働、社会問題/ウェブリブログ

・余談。柳沢大臣の「健全」発言は、子を2人以上ほしい個々の「人」を指しているのではなく、大部分の出産可能年齢の人が子を2人以上ほしいと思っている「社会集団」あるいは「生物集団」を健全と指しているのではないか。彼は「健全な状況にある」と表現している。人を指して「状況」と言うことはあまりない。
少子化発言関連について草稿・続き - 深く考えないで捨てるように書く、また

ここからはk2lowさんへの返信とはズレるのですが、今回の騒動について触れた幾つかのエントリを見ていて、「国家が個人のライフスタイルを云々するとは何事だ」という雰囲気を感じました。確かにそのようにお上から言われることはウザいことですが、一方で、統治行為というものはそもそも特定の価値観やライフスタイルに肩入れするという性質を持っています。例えば、行政による児童手当とは独身世帯から子持ち世帯への所得移転に当たるわけですが、それはすなわち、子供を養育することに肯定的評価をしているという価値判断に他なりません。本当にあらゆるライフスタイルに対して政府が中立であるべきと考えるならば、そのように子持ち世帯を優先的に支援する制度を止めろという主張になってしまいます。
政策を選択するという行為は、無数にある国民の要望のうちどれを優先的に実行するかという価値判断です。民主制を採用する日本においては、どの政策を実行しどの政策を廃するべきかを民意に基づいて選択できるわけですから、少子化問題を「放っといてくれ」というスタンスの方は、そのような政党に投票すればよいでしょう。僕は、移民を受け入れることに積極的でない現状に鑑みて、政府が少子化対策を取ることを肯定的に評価しており、また僕自身や同世代の人間が子供を持った場合にきちんと支援が受けられるほうが望ましいと思っているので、育児支援にプラスとなる政策判断については支持します。もちろん、以前のエントリで触れたように「保育所不足・保育士不足を解消すべし」というような主張は引っ込める気はありませんけれども。
(2/15追記)
k2lowさんからさらにお返事を頂いたので、あちらのエントリにコメントを書いて来た。向こうで長々と書いたのでここでは簡潔に述べるが、僕が一番問題だと感じたのは、誤解を誤解としたままヒートアップした点にある。
政治家であればズバリと刺激的に直言することもあり、そこで誤解が生じることはしょうがないことだと僕は思う。誤解した側もさせた側も、厳しく批判されるほどのことではない。僕は「健全」発言を朝日だか毎日だかのウェブで最初に目にしたが、見出しだけ読んで「何言ってんだこの人は?」と思った。つまり僕だって誤解した側に立っている。
幾つかのブログではその日のうちに批判エントリが起こされ、またメディアや野党も言葉だけを切り取って大臣を批判したものだから、さらにブロゴスフィアでの批判は激しくなっていった。翌日か翌々日になれば会見録がアップされ、発言の全体を読むことができるのに。なぜそのように瞬間沸騰してしまうのだろう?
大臣の発言が失当でないとは全く思わない。批判はされてしかるべき。しかし、批判の内容は片言隻句に拘って辞任を求める声ばかりだった。閣僚の役はそのように軽いものではないはずだ。まして今回の発言は、全体としては政策論を語ったものだった。ならば政策について議論し批判をするのが妥当だろう。何度も言うが、「健全」という言葉に釣られるのはちっとも建設的でない。
スタンピードに陥ることを、僕はしばしば危惧している。