過失と故意のはざま

例えば僕がハントを趣味とするものであったとしましょう。ハントといってもガールハントのことではありませんよ。当方はそんなナウい趣味は持ち合わせておりませんので。狩猟のたぐいを意味するハントです。
で、猟銃で鳥や獣を撃とうとして、狙いを誤って人にあたって死亡させたとします。さあ、これは果たして殺人罪に問われるか否か?
僕に犯意があれば、つまり「ブッ殺してやる」という意思のもとに当てようと思って当てたら、それはもちろん故意犯であり殺人罪です。逆に、人がいることなど知らず全くの間違いで死に至らしめたとしたら、それは過失致死罪ですね。まあここは感覚的にもわかりやすいでしょう。
さて、もし僕が周囲に人がいることがわかっていて、にもかかわらず「当たった時は当たった時」というような図太い心理で銃弾を発射し、死に至らしめた場合はどうでしょうか?この場合、内面心理として犯意はなくとも、死亡という結果が発生することを「認容」してしまっているので、故意犯に近いものとして扱われます。これを「未必の故意」といいます。
未必の故意」について別の例を出すと、ビルの屋上からものを落としたら通行人に当たって怪我をさせてしまうかもしれませんが、「当たってもしかたがないや」と思ってそういう行為に出たとしたら、それは「未必の故意」であり故意犯です。あるいは狭い道を車で走っていて、「このまま走ったら壁際の通行人を轢いちゃう」と危険を認識していながら、「まあ轢いてもいいや」という心持ちで車を走らせ、やっぱり通行人を轢いてしまったとしたら、これも「未必の故意」となります。
さて、もう一度狩猟の例に戻ります。やはり周囲に人がいることがわかっており、「当たったら怪我するか死んじゃうかもしれないけど、自分は上手いから大丈夫だ。」と思って発砲した場合はどうでしょうか?実は、このようなケースで人に命中して死んでしまった場合、内面で犯意を持たず、しかも死亡という結果の発生を「認容」していないので、故意犯として扱われなかったりします。これを「認識ある過失」といいます。
先ほど狭い道を車で走る例えを出しましたが、「通行人に当たるか?でも道路は結構広いし、まず当たらないだろ。」と思っていた場合、やはり結果の発生を認めていないので、「認識ある過失」として故意犯ではなく過失犯に扱われます。ちょっとややこしいですが、「未必の故意」と「認識ある過失」は非常に微妙な境界線で分けられており、結果が発生するという認識を持ったうえで、その結果が発生してもかまわないという意識(認容)があるかないかで区別されます。認容していれば「未必の故意」、認容していなければ「認識ある過失」です。
以前に、弘前武富士の支店に火をつけた放火殺人事件がありましたが、あの事件でも確定的な殺意は認めなかったものの、未必の故意を認めて死刑判決が出ましたね。出口が一つしかないのにガソリンをまいて火をつけたら重大な結果を招くことは状況から明らかであり、「未必の故意」を認定しての判決でした。言い換えると「死ぬ可能性がある」+「死んでも構わない」=「未必の故意」と考えると理解しやすいでしょうか。
付け加えておくと、「過失」とはあやまちとか失敗のことを意味しますが、法律用語としては「犯罪となるような事実を不注意によって発生させること」を意味するので、結果の回避や結果発生の予測が不可能な場合は過失としても取り扱われません。
上記のように刑法犯の犯意についてつらつらと書いたのは、飲酒運転についてのニュースを見たので何か書こうと思ってのことでしたが、書いてるうちに一部で話題の「見殺しは人殺し」問題にどこかでリンクするかもと思ったので、とりあえずアップしておきます。
(参考)パロマガス器具問題は殺人罪では? -パロマガス器具問題は未必の故意に- その他(法律) | 教えて!goo