共同体と機能体

poohさんのブログエントリのコメント欄で面白いやりとりを見付けたので貼っておく。PCの調子が非常に悪いので、とりあえずコピペだけ。

堺屋太一は会社などの組織が衰退する時に「機能体が共同体化する」ということを指摘しています。つまり、本来「おい、お前の仕事はこれなのにちゃんとやらないのは、けしからん」と組織内で叱られなくてはならないのに、「まあ、いいか」と仲良しこよしに成ってしまうという訳です。事例として、戦争中の参謀本部がミッドウェーの敗因分析を「死人にむち打っても」とやめてしまうような話をあげているわけです。

実は私は、この話から、共同体の機能体化もまた起こるのではないか?といった仮説をたてています。もともと社会のベースは共同体であり、その中の特定の必要性を満たすために機能体が生まれる訳です。原始の村に猪の巻き狩りチームができるのを例に出したりします。本来巻き狩りチームは共同体に狩りの獲物をもたらすための組織である訳ですが、機能体に属してその機能に貢献する者の比率が大きくなると、「うちの村は巻き狩りのためにある」といった意識となり、「巻き狩りのためには村中こぞって協力しろ、協力出来ない奴は村にとって必要の無い者だ」みたいになる事もあると考えている訳です。例としてスパルタという国が、「軍人の国」となり「軍人として不適格者は奴隷に落とす」となったことなどを挙げたりします。

よく考えると、日本の戦後復興から高度成長の間、この共同体の機能体への「かしづき」が顕著に表れています。「今度の日曜日は父親参観よ」「その日も仕事だ」「仕事なら仕方ないわね」という会話になんら違和感を感じないという世界です。つまり、ここにおいては共同体の基本である家庭は仕事に比べて「低い位置づけ」となっている訳ですね。もちろん、そのくらいの労力の傾斜配分をしなければ高度成長などあり得なかった訳です。しかし同時にこの期間を通じて弱くなった概念の一つが「仕事(機能体)は社会(共同体)に成果をもたらすためにある」という事です。機能体の仕事の質が悪くて社会にまともな成果をもたらさないなら、社会(共同体)はその仕事(機能体)を叱り、時には排除しなくてはならない訳ですね。機能体に「かしづいてしまった」共同体には、その部分が弱ってしまう訳です。

これが、「仕事だから良いんだ」みたいな言い訳とつながっている気がする訳です。本来、仕事であるということは仕事でないという事より「責任が重い」のは、それが社会に対して何かをもたらすという事だからなのですけどね。
by 柘植 (2007-04-24 16:08)

というか、「共同体の概念」というのはとても大きな問題なんです。まあ、焦らずに端っこから少しずつ囓る気でやらないと、丸飲みしようとするとのどにつっかえますからね(笑)。

私は「原始の村」というたとえ話をよく使います。これはいろんなものを取り去った共同体として最も理解して貰いやすい共同体の単位が数十戸から百戸程度の「村」と考えられるからです。

ここで、現実存在としての共同体と「概念として成立する共同体」といすう事を考えないとならない訳です。つまり、農耕とかが始まると村そのものも大きくなりますが、労働力と土地を求めて村同士が併合していくも小国家時代になるわけです。実はこのとき「支配者層」と「庶民あるいは被支配者層」の間で「共同体の概念」に違いが生ずるわけです。三十の村を支配する小国家の支配者にとっては、その三十村を合わせたものが「共同体」です。端っこの村が侵略された時には、残りの全ての村から兵隊を徴発して、残りの全ての村から兵糧を調達して戦うことになりますからね。ところが庶民や被支配層にとっては「村」程度が共同体としか認識出来ないわけですね。そこで支配者層は「お前たちの村は大きな共同体の一部だ」という概念の育成をしなくてはなりません。
例えば「お前たちの村は『の』という国の一部だ」と宣伝し「の国は良い所だ」と思わせようとするわけです。やがて「の国」が「わ国」に組み込まれて「わの国」となると、支配層が宣伝する共同体概念はさらに大きく「わの国」となり、離れたところに巨大な文明国でもあるとそこに使いをおくって「わの国」という証拠に金印を貰ったりします(漢倭奴国王印なんてね)。

つまり、自然発生的な共同体概念の発生は「村」レベルであり、それより大きくなると、機能体である「支配システム」の都合で宣伝される事で成立して固定化するというのが人間の歴史が示す所なんです。

明治維新を作り出した2つの私塾があります。吉田松陰の「松下村塾」と緒方洪庵の「適塾」です。教えたことは国学蘭学で全く違うのですが、共通項はたった一つ「日本国という共同体の概念」です。

共同体を考えるときに、この「現実の共同体」と「概念としての共同体」
の両面を考えないとうまく考えきれない気がしています。
by 柘植 (2007-04-26 08:42)