2008年J2第17節・サガン鳥栖−アビスパ福岡

まさかスタジアムで魔王が呑めるとは。ベアスタも魔境であったか。

サガン鳥栖1−3アビスパ福岡
得点:タレイ(15、89分)谷口(26分)長野(41分)
蜂メンバー
GK 1神山竜一
DF 4ルダン
DF 6布部陽功
DF 5長野聡
DF 3山形辰徳
MF11田中佑昌
MF16久永辰徳(→宮本亨88分)
MF 8タレイ
MF 7久藤清一(→城後寿78分)
MF17中島崇典
FW19大久保哲哉(→ハーフナー・マイク
http://www.jsgoal.jp/result/2008/0531/20080200030420080531_detail.html

フォーメーションは前回と同じ。というかスイーパーを置いてのマンマークなのであまりフォーメーションに意味がない。久永・タレイ・久藤の3CHがどれだけ攻守に走れるかでチームの勢いが定まる。そして前線での大久保の存在感もまた格別であった。
先制点はタレイのPK。ヒサがPAに走り込んだところで鳥栖DFからファウルを貰った。レフェリーが笛を吹くや鳥栖の選手たちが詰め寄っていたが、まあ気持ちはわかる。他の審判だったら取らなかった可能性もある、ちと微妙なファウルだったかな。先制したことでゲームは福岡ペースになるかと思われたが、さすがに進境著しい鳥栖だけあって、簡単には勝てない。というか福岡が守り切れない。前半の半ば、高橋のドリブルによってマークにズレが生じ、布部が釣られたところを谷口が巧いポジショニングから決めた。この同点ゴールは敵ながら見事。
ただ、全体としては福岡のハードワークによって鳥栖はプレイの選択肢をだんだんと狭められ、攻め手を欠いている時間が多かった。鳥栖の選手も走ってはいるのだが、ポジションを崩したことが裏目に出て、パスしたい時に受け手がいないなど空回りしていた感じ。逆に福岡は、前線の大久保はもちろんのこと、タレイや久藤、ナカジ、佑昌などが入れ替わりゴールに走っており、即席のコンビネーションでも鳥栖守備陣を脅かしていたので、そこで明暗が分かれたかな。前半の終りに長野が決めたゴールも実にテクニカルなもので、あるいはラッキーゴールかもしれないが、たまにはこういう幸運なゲームがあってもいいだろう。布さんのライン上のカンフークリアにせよ、試合終盤のカウンターからの大久保→タレイのゴールにせよ、この試合は福岡の勢いが鳥栖の失策をことごとく好機につなげたことで手にした勝利だと思っている。チームの完成度としては鳥栖の方が上だし、戦術的な伸び代も鳥栖にあるだろう。ただ1試合を切り取ってみれば、福岡の勢いと充実は弛緩した鳥栖を凌駕していたし、運も味方していた。
仙台戦もそうだったが、この戦術は、全員がしっかりと走ったうえで相手チームの強烈な個性を打ち消すことに成功すれば、勝利に近づく。逆に、全員の運動量が落ちたり、相手がこちらのマンマークにうまく対応して個性を消さないタスクを遂行できれば、相手の勝ちに近づく。具体的には、たとえばこちらは2CB+スイーパーで守っているわけで、ラインのズレを作りやすい。佐藤寿人の1トップで来られるとたぶん対応できないし、リンコンや長谷川など高さと巧さのあるCFWを相手にした時、2列目からの飛び出しを抑えきれない可能性は十分にある。思えば今節、優れた個性である藤田を封じたことは僥倖であった。
また、これから暑い季節になって体力の消耗が激しくなり、運動量が落ち気味になるはずで、そのときの守備陣形の作り方には注意が必要だろう。何せ3CHはいずれも30歳を越えている。指揮官の手腕は全く信頼できないので、結局は選手がアドリブで対応する羽目になるだろうが、せめて怪我だけはしないでもらいたいと思う。社長からフロントから監督まで非常に醜悪な振る舞いを見せる中、奮闘する選手だけは我らの宝だ。

2008年J2第16節・アビスパ福岡‐ベガルタ仙台

試合に集中したいです、社長。

アビスパ福岡2−0ベガルタ仙台
得点:佑昌(60分)大久保(81分)
蜂メンバー
GK 1神山竜一
DF 5長野聡
DF 6布部陽功
DF13柳楽智和
MF11田中佑昌
MF 3山形辰徳
MF18鈴木惇(→ルダン69分)
MF 7久藤清一(→久永辰徳87分)
MF 8タレイ
MF17中島崇典
FW19大久保哲哉(→黒部光昭89分)
http://www.jsgoal.jp/result/2008/0525/20080200030320080525_detail.html

フォーメーションは5-4-1になるのかな、柳楽・聡の両CBの後ろに布さんがスイーパーとして1枚余る形。サイドの高い位置に佑昌と惇が位置し、その後方にナカジと辰徳がSB気味に構える。中央は久藤とタレイが、ボランチというよりCHとして動き回り、1トップにはジャンボ。マンマークでスイーパーって最近は珍しい形で、試合前はどうなることかと思ってたけど、意外にハマった。ベガルタはこちらのマークをうまく剝がせず、ボール回しも滞留してる感じ。こちらとて組織的守備は相変わらず構築されていないのだけれど、相手の2トップに対して2枚+1枚でサンドする守りで何とか持ちこたえる。前半31分、相手のペネトレイトに対応しようとした辰徳がPKを与えた時にはどうなることかと思ったけど、神山の神セーブでゴールを許さず。これで完全に流れをものにした感じ。ベガルタが1トップにしてきたら対応しきれなかったかもね。
攻撃面では、惇のクロスと配球、ナカジの激しいオーバーラップ、タレイと久藤の献身的な走りに助けられ、ここ数試合とは見違えるようなオフェンスだった。特に惇と久藤のパスは何度もスタンドを沸かせていた。先取点は佑昌。セットプレーからボールがこぼれたところをPAカドで拾って、左足でシュート。ボールは相手守備陣をすり抜け、ポストに当たってゴールイン。今節は精度の低いクロスを連発してストレスがたまっていたけれど、ゴールしたからまあ及第点か。しかしドリブルもクロスも駄目となると、生きていく道がないぞ、佑昌よ。2点目はジャンボ。ベガルタが前がかりになったところで後方からのパスを受け、巧みなステップで相手DFをかわし、相手GKの脇を通すシュート。この時のスタンドの雰囲気は最高だったねえ。
この試合、コアサポはいつもの選手コールも段幕もチャントも一切なし。一般観客と同じ手拍子と声援のみ。最初は仙台サポがゴール裏で太鼓たたいてたけど、試合が進むにつれてその太鼓の音も聞こえなくなっていった。スタジアムは拍手と歓声と溜息ばかりがこだまする。選手の一つ一つのプレーにスタンドは声援を送り、その声に呼応するように選手は自分のプレーに自信を深めていく。いつものスタジアムとはまた違った形の、素朴かつ真剣なエネルギーが満ちたピッチがそこにあった。コアサポのチャントに慣れた体には、こんな風景がよく沁みるね。観客がどんなプレーに拍手を送るのか、選手にもよく伝わって良かったんじゃないかと。
ゲーム外のことで悩まされる日々が続いていたけど、やっぱり素敵なゲームを見せられればアビスパへの想いは胸の中で熱くなる。次節はアウェー鳥栖に乗り込んでの九州ダービー。かすかに見えた光明を何とか繋げていきたいものだ。

30代の院生なんて珍しくもない

大学院生が事件起こして(3x歳)みたいに報道されると、2ちゃんなんかでは
「3xで院生ってwwww」って笑われるんだけど、社会人経験なくても30歳以上の院生って多いよね?
留学やフィールドワーク行く人もいるし(いかなくても三十路の人もいる)。
30代の大学院生

TBがいっぱいついてる。30代で「修士課程在学中」なのと「博士課程在学中」なのと「博士課程単位取得退学」なのと「アカポス獲得」ではまったく状況が異なる気がするが、他分野のことはよくわからないので黙っておこう。なお自分は史学の出身だが、学部時代の指導教員は博士号を持たないまま助教授になり、学生を指導するかたわら博士論文を完成させたと記憶している。30代の後半だったか。人文系ではよくあることです。

作品はムーブメントの起点

作者不在って考えは面白い。ニコニコみたいに模倣、再生産、再解釈でなりたってるクリエイティブ文化だと、オリジナル作品ってのは一個で完結するものではなく、ムーブメントの基点であり、表現模索の方向性の定義にしか過ぎないのかな。そうなると質どころか、問われるのは情報遺伝子の拡散性ということなんだろうか。このような文化では作品は特定の誰かが作るものではなく、勝手に生えてくるものって認識が強いのかもしれない。だとしたらこの文化の洗礼をうけた世代は、未曾有のアンチ・コピーライト世代になりそうな予感。
fladdict» ブログアーカイブ » 大学の先生とニコニコについて語ったりした

これを敷衍すると、ニコニコにおいてコンテンツの良し悪しを判断する時、その基準は「作品単体の完成度」とは別の要素が重視されるのかもしれない。すなわち、より多く引用され、参照され、ムーブメントを形成する作品こそが、リスペクトの対象になるということだ。*1
もちろん完成度が高いコンテンツほどより多く鑑賞されるわけだから、ブームの発端になる可能性は単純に高くなる。けれども、作品単体の完成度が低くとも、視聴者の感性に引っかかる部分、いわゆるフックが設けられていれば、その作品を起点としてムーブメントが起こり、「○○の原点」のようなタグとともに末永く振り返られるようになるのだろう。
現実のアートにおいてもスタイルとか潮流というものがあり、原点を芸術史的に探求したり作品の関連性を考察したりすることはありふれた知的営為であるわけだが、作品単体ではなく作者や視聴者が相互にコミュニケートする部分も含めてコンテンツが完成するニコニコ文化の中では、各コンテンツの関連性はそのクラスタ内部においては容易に強まっていくという島宇宙化の傾向を示すことになる。するってえと、「ニコニコ動画は全貌を把握しにくい」という問題が生まれるのは当然の成り行きだったわけか。

*1:ここで"Niconico Impact Factor"というような指標を思い浮かべる人もいるだろうが、ひとまず措いておく。

2008年J2第13節・アビスパ福岡−サンフレッチェ広島

岐阜に5失点、熊本に4失点ときて、広島に3失点・・・あれ、もしかして守備力上がってるんじゃね?

アビスパ福岡0−3広島
得点:森崎浩(29分)森脇(72分)森崎浩(81分)
GK 1神山竜一
DF 3山形辰徳
DF 2宮本亨
DF13柳楽智和
MF14中村北斗
MF 8タレイ(→ハーフナー・マイク75分)
MF10城後寿(→布部陽功58分)
MF18鈴木惇(→田中佑昌46分)
MF16久永辰徳
FW 9黒部光昭
FW19大久保哲哉
http://www.jsgoal.jp/result/2008/0511/20080200030220080511_detail.html

特に語ることなし。今まで曲がりなりにも積み上げてきた4バックも、さして思い入れもなければコンセプトも持ち合わせていないもんだから、簡単に3バックにチェンジ。そしてあっさり破られた。クロスバー選手とポスト選手がいなかったらあと3点は取られていたな。1トップの寿人は3バックの中央に入った辰徳がマークしていたけれど、相変わらず守備は1対1でやっているようで、辰徳が釣りだされた時にスペースを突く寿人をケアする人間が誰もいなかった。おいおい、相手は飛び出しにかけては日本トップクラスのストライカーだぞ。SBが本職の人間が守りきれるわけがないじゃないの。先制点の場面も、サイドに逃げた寿人にDFが引きずられ、そこに空いたスペースに走り込んだ森崎浩が、寿人からのパスを受けて決めたもの。逆に福岡は、高さのあるFWに敵守備陣を引き付けることはできていたのに、空いたスペースを突く動きはあまりなく、相変わらずのパワープレー頼み。それも、良質のクロスを挙げられる惇がハーフタイムで下げられ、さらにマイク投入時の交代はタレイだったもんだから、パワープレー自体に可能性が感じられず。ジャンボなどそれなりにチャンスを作ってはいたものの、チームとしての連動性が皆無だから決定機が単発で終わってしまっていた。戦術と選手の配置・起用がちっとも噛み合ってない。指揮官の手腕の貧弱さがまたも目立ったゲームでした。
それから記録のために残しておく。アビスパの最大のコアサポ団体であるオブリは、いつもはバックスタンド上段および下段フェンス際に多くの段幕を掲示しているが、今節は通常の段幕は一切なかった。かわりに、紙製のメッセージ段幕が張られていた。その内容は以下の通り。

  • 「15ヶ月待った。今さら何をみる?千葉は肝を括ったぞ。」(スタジアム最上段)
  • 「サポーターは大混乱」(下段フェンス)
  • アビスパの迷走はいつまで続く?」(下段フェンス)
  • 「人のせいにせず選手はもっとハードワークを」(下段フェンス)

思い出しただけで血が逆流しそうになる。本当にオブリって馬鹿だね。いちいち突っ込んでおくと、まず15ヶ月間待っていたのは多くの一般サポであり、オブリは昨シーズンずっとリティを支持していた。いまさら「15か月待った」とはどの口が言うのか。恥を知れ。素人目にも手腕に?マークの付くリティを批判せず、それどころか松田・小林といったアビスパでは良心的にチームに尽力してきた人間を激しく非難し、追い出したのはオブリではないか。サポーターの混乱もクラブの迷走も、圧力団体として振る舞ってきたオブリが文句を言えたものではない。人のせいにせず、まずは昨シーズンに自身が掲げた「黒い噂」なる段幕の真意を、フロントやグループに属さない一般サポに説明してみろよ。本当に恥ずかしい。
さて、「様子を見る」のは残り2試合。まあうちのクラブ事情から見てこれも出来レースの匂いがプンプンしているが、2度とレベスタで現指揮官の姿を見ずに済むことを願っておこう。いいかげんに解放してやればいいのにな。

2008年J2第12節・アビスパ福岡−ロアッソ熊本

ハイハイ、J2のドアボーイクラブが通りますよ。もう門番にすらなりゃしないんだから。

アビスパ福岡2−4ロアッソ熊本
得点:大久保(8分)高橋(28,33分)グリフィス(41分)小森田(57分)高橋(72分)
蜂メンバー
GK 1神山竜一
DF14中村北斗
DF 5長野聡
DF13柳楽智和(→山形辰徳46分)
DF 2宮本亨(→ハーフナー・マイク73分)
MF11田中佑昌
MF 8タレイ
MF18鈴木惇
MF16久永辰徳
FW19大久保哲哉
FW25グリフィス(→黒部光昭64分)
http://www.jsgoal.jp/result/2008/0506/20080200030320080506_detail.html

以前と同じなので特に繰り返して書くほどではない。組織力が整備されていないから、たとえ枚数が揃っていても、連動した動きで相手の陣形を崩して攻め込んだり、逆に相手のアタックを押しとどめたりすることが出来ない。個人で守っているから、数的優位な状況にあっても簡単に相手のパス回しに振り回され、初めは人についていても次々にマークのズレが生まれて、フリーになる余裕を与えてしまう。もちろん最終的には個々のミスもあるわけで、高橋のFKによる2点目はともかく、他は柳楽や亨や北斗のミスが失点の直接の原因になっている。どんな選手もミスがゼロの試合というのはあり得ないにせよ、あのような拙いプレイを連発したのは選手の責任だし、ミスが発生しても連動して守り切るような組織力を育ててこなかったのは指揮官の責任。
攻撃面についても同じ。各選手のアドリブのようなコンビネーション以外には組織力が皆無だから、ボールを持ってもどう攻めていいかわからなくなっている。ヒサのようなベテラン選手でさえ状況判断の力がどんどん落ちてしまっており、自ら限定される方向に動くシーンが目についた。アビスパは後方からのフィードが巧くないので、ロングボールの蹴り合いにしてしまったらセカンドボールを拾えずポゼッションさえ落ちてしまう。終盤で鈴木惇がドリブル突破を仕掛けた場面は胸を打つものがあったが、もっと整備されたチームで彼を迎え入れてあげられたら、きっと彼の才能を健やかに伸ばしてあげられただろうに。今年19歳の若武者にチームの光明を見出さざるを得ないというのは、お互いにとって不幸なことだよ。
試合終了後に誰が言うともなく居残り。まあオブリは行動の指針があったのかもしれないが、ゴール裏やバックスタンドの一般サポは自分たちの意思で残っていたよ。で、田部GMだけでなくリトバルスキー監督も初めて出てきていたが、相変わらず自身の采配の何が誤っているのかわからないようだ。チームをチームとして束ねられず、単なる烏合の衆にしてしまったのは、監督の責任。選手に同じ方向を向かせることも、ビジョンを共有させることもできなかった。サポーターは選手を責めたいわけではない。むしろ、ポテンシャルを発揮できずプロ・フットボーラーとしての価値をどんどん落としていく選手たちが不憫でならない。
まともなフロントなら昨年の時点でリティは切っていただろうし、前強化部長の小林氏(現山形監督)を更迭することもなかっただろう。そういう意味ではクラブ経営陣にこそ責任がある。居残ったサポーターは都筑興社長が出てくるよう重ねて要求していたが、居場所がわからないと職員は説明したようだ。あくまで田部GMに説明を任せ、社長がサポーターと直接コミュニケーションを取ることはなかった。なお実際にはちゃんとスタジアムに社長は来ている。


2008年5月6日、レベルファイブスタジアム。試合終了後、スタジアムに残ってクラブへの怒りを表明するサポーターたちを、そっと見つめる都筑興(つづく・こう)社長。 なお、この時サポーターの前に姿を見せたのはリトバルスキー監督や田部GMらだけで、サポーターは重ねて「社長をだしてくれ」と声を挙げたものの、クラブの最高責任者は全てを部下に押し付けて居留守を使ったのであった。
http://rajendra.tumblr.com/post/34001035

J2福岡リティ監督去就は3試合保留 - サッカーニュース : nikkansports.com
さて、試合翌日の話し合いにより、リティの進退はここ3試合の出来に預けられたもよう。今さら様子を見ても彼の采配が変わるわけではなし、サポーターは昨シーズンから数えてもう60試合も「様子を見て」いるのだが、これ以上まだ我慢をしなければならないのか。決断力のないトップのことだから3連敗でもしない限り監督交代はなさそうだし、現下の状況では3連勝してなおかつ第2クール以降も調子を維持しなければ昇格戦線に絡むことすらできないだろう。実質的にアビスパの今シーズンは終わったとも言える。現場のトップと経営のトップにクラブをズタズタにされるとは、なんともやるせない。特に都筑社長は、晩節を汚しましたな。
なお今後の3節の相手は、11日にホームでサンフレッチェ広島、18日にアウェーで横浜FC、そして21日にアウェーでセレッソ大阪と対戦する。サポーターは複雑な気分だね。チームが良い結果を出したら、クラブが悪い方向に行くことが決まってしまったのだから。アビスパの迷走はなおも続く。

アーカイブこそ図書館の使命

COMIC1の見本誌が明治大学の新図書館に寄贈される件について、永字八法にてみたびエントリが起こされている。
気に入らない遺され方を拒否する著作権者がいるとは失念していた。 - 永字八法
遺したくない著作権者と未来永劫残したい図書館 - 永字八法
殺されてでも遺したい - 永字八法
(なお見本誌寄贈の件についてはCOMIC1代表によるブログも参照のこと:COMIC1準備会日記: 見本誌
手短に書く。自分の感覚では、図書館等によるアーカイブはそもそも発行人の意志を斟酌する必要はない。気心の知れた仲間に著者が直接コンテンツを受け渡すような牧歌的な間柄ならばともかく、同人誌といえど不特定多数に頒布しているような代物を発行人がコントロールできると考える方がおかしいのではないか。"publish"と"public"が語源を同じくしていることを思えば、あらゆる出版物は出版された時点で保存されることを是認していると解釈するべきである。
自分も漫画ではないが、学生時代に同人誌を何冊か製作し、イベント等で販売した経験がある。それらは後に、学生サークル等の先輩から後輩へとコピーが連綿と受け継がれていると聞いたが、自分の手がけたコンテンツが面識のない相手に渡ることは甘受すべきと自分は考えるので、その点について文句はない。もしもコンテンツを保存されたくないのであれば、「著者は保存されたくないと考えている」ということを受け渡しの際にきちんと因果を含めうる相手にのみ、頒布するべきである。規模の大小によらず、公刊する以上はクローズドにはできないだろう。
自分が歴史学徒出身であるから拘っているのかもしれないが、コンテンツの価値というのは十年や二十年程度で定まるものではない。百年、千年の単位で揺れ動くものである。メディアそのものを保存するかどうかは別にしても、コンテンツはとにかく保存されるべきである。アーカイブしたいという図書館の欲望は、アーカイブされたくないという著者の欲望に優越するべきである。図書館とはそういう社会的使命を背負って設置され、そのように活動することを期待されており、その使命を果たすことが我々の文化と文明の発展に貢献するのだと自分は信じている。
ただし、保存についてはともかくとしても、閲覧・複写・貸出については、発行人がコントロールする余地は多少残されていてもよいと考える。というのは、これは紙の出版物というトピックに限らないのだが、この十数年でコンテンツを製作したり情報を発信したりするハードルは低くなる一方であり、自身の行為がイコール「世に問う」ことであると理解しないままに創り手にまわるケースは今後とも増えるであろう。ニコニコでは中学生がアイマスMAD作ったりしているわけで、もちろんそれはコンテンツとして成立しているのだが、発表者しだいでプライベートな情報を含んだコンテンツが頒布されてしまう可能性はある。*1そこにおいて、アーカイブの欲望とブラウジングの欲望が必ずしも一致するわけではないということは、顧みられてよいであろう。

*1:高橋治『名もなき道を』や柳美里石に泳ぐ魚』等の事例を念頭においている