クイズ屋の思い出

QMAはろくに知らないのだけれど。

三十分ほどやってみて、なんとか大賢者を二級にしましたが、これはもう、クイズ挑戦時点での知識量を問うものでもなんでもなくって、完全に「クイズに何度も挑戦して出題された過去問の正解の暗記量」を問うものになっている。だって、「後醍醐天皇征西大将軍に任じたのは懐良親王ですが(まずここで問題文の表示がちょっと滞って引っ掛けになっている)、征夷大将軍に任じたのはABC三人の親王のうち成良親王である」なんて、予備知識として準備しておけるのはその分野の専門家だけじゃない。「よほどのクイズマニア」というものでもないですよ。本当にそのクイズゲームにお金を払い込んで、問題文と解答のセットを丸ごと記憶して、素早く想起するしかない。ゲーム機のメーカーは実は知識を問うクイズでないものを、暗記のトレーニングでしかないものを(だってこの形式なら記憶の内容は乱数表覚えるのと変わらんもの)、クイズと錯覚させて売り上げを伸ばしているわけでね。賢い商品企画だとは思います。
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20071204/1196761944

思うに、想定しているプレイヤーのレベルを非常に高い水準においているんでしょう。だから結果的に、QMAに何度も挑戦したプレイヤーが残りやすい、ということではないでしょうか。とはいえ問題数は大量に用意しているはずだろうし、そうそう重複するものかしら?ぜひプレイヤーの感想を聞きたいところ。
あとニコニコにプレイ動画がいくつかあがってたので適当に見てたら、「キン肉マンとサッカーが多い」というコメントにちょっと笑う。ああ、そりゃそうだ。たぶん問題を作ったのはこの人。
久保隆二 - Wikipedia
一度お会いしたことがあるし、その筋では非常に有名な方。自分も学生生活をクイズに捧げた人間なので、この人の令名は承知している。キン肉マンとサッカーが大好きなことも。そういえば、一時期の彼のHNは「ロートルマテウス」だった。むろんローター・マテウスのもじり。
もうちょっとクイズ話。ある一時期まで、クイズの問題の難易度というのはテレビの影響下にあった。アタック、アップダウン、タイムショック、ウルトラ、FNS、史上最強。テレビで放映される問題の難易度が、イコール当世のクイズシーンのスタンダードだった。90年代にその流れが変わる。クイズマニアが自ら大会を開催する「オープン大会」ブーム。参加者から主催者へ。それとともに問題の難化傾向が激しくなる。テレビの影響が小さくなり、クイズマニアが自ら問題難易度を、ハードルを上げるようになった。それはたぶんこの人のせい。
長束恭行 - Wikipedia
サカオタ的にはクロアチアサッカーニュースの中の人として知られる氏も、我々にとってはクイズ界の有名人。「史上最強」におけるニシケンとの激闘は、当時のクイズ屋に強烈なインパクトを与えたという。ちなみにQMAで問題監修を務めている大門氏は、長束氏の大学の後輩。ああ、このへんの話は記憶に頼って書くのはやめておこう。自分が知るのはもうちょっと後代。クイズシーンの中心が、有り余る時間にものを言わせた学生から、経験を積んだ若手社会人に移った頃。
自分がクイズの門を叩いたとき、先輩諸氏の壁は厚かった。何せみずからムーブメントを作ってきた人々。すでに全速力で、はるかに前を走っている。自分が走り出すのはこれから。相手はどんどんスピードに乗って先へ進む。追い付くどころか距離は開くばかり。クイズ界ハッブルの法則。後発の人間が先行者に追い付くには、費やす時間の質と量を向上させるしかない。ともかく基礎を固めよう。先輩方が走った道を自分も辿ってみよう。そうやって図書館にこもった。何をやるの?ええと、百科事典を最初から読むのです。いやいや嗤うなかれ。多くの若手クイズ屋は、マジに百科事典を読んでいたのですよ。項目の一つ一つをモグモグと貪るように。平凡社とか小学館とかブリタニカとか。
自分語りは恥ずかしいけれど、クイズを語るのは楽しいな。もうすっかり引退状態だけど、確かにクイズは俺の青春だった。酒を飲まなくたって、クイズで頭はトリップする。夜を徹して早押しボタンを握っていたら、朝焼けが目に眩しくって。あんなにエネルギーを発散させることが今後あるだろうか。
部屋を漁ったら当時のメモが出てきたので、一部晒しておく。解答は反転させて下さい。

  • 「人斬り半次郎」こと桐野利明とは従兄弟 → 別府晋介西郷隆盛の自害の介錯
  • 590年のペストの大流行を、天使が現れて終焉させたという伝説にその名をちなむ → サンタンジェロ城バチカンのサンピエトロ大聖堂との間に抜け穴)
  • 大杉勝男が史上初の両リーグ1000本安打を達成したときの相手投手 → 鈴木孝政(公式戦で長嶋親子と対戦した唯一の投手)